■英数字
17才のタンポポ




フとした瞬間に思い出したんだ。

他愛の無い事で思い出したんだ。


きっととても大切な事だったと思う。

どうして今日まで忘れて居たのかな。

だから今日は其の話をしたくなった。


親戚の叔父が居た。

逞しい筋肉と優しい笑顔が似合う人だった。

大型トラックを運転する姿が格好良かった。

助手席に乗せてくれたし、ハンドルも握らせてくれた。


其れから、野球の好きな人だったと思う。

幼い頃のアルバムを開くと

野球のユニフォーム姿の叔父に抱かれた

幼い頃の僕の写真が今でも残されて居る。


叔父は僕を本当によく可愛がってくれた。

叔父には娘が居たけれど、息子は居なかったから

そういう点でも、僕をよく可愛がってくれたのだと思う。


あの年、叔父が病気で入院した。

僕は17才だった。

思春期の最中に居た僕は

其れ等がもたらす急激な変化の中で

人並か、もしかしたら其れ以上に

恐らくは親や周囲の人達に、迷惑や心配をかけた。


そんな頃に、叔父は入院した。


最初に叔父の見舞いに行ったのは

まだ少し雪が残る頃だったと思う。


数人の患者達が集う

大部屋の窓際のベッドで

叔父と僕は久し振りに対面した。

其の時には僕の母親も横に居た。


叔父は割と元気そうだった。

ベッドから体を起こして会話をした。


其の頃の僕は思春期の最中で在ったし

本来(特に此のような場面では)無口なので

叔父とは、ほとんど会話を交わさなかった。




静かな時間だった。




母が叔父に、こんな事を言った。

此のような場面では割とありがちな

実に母親らしい台詞だったかもしれない。



「今の此の子には、本当に困ってるんですよ。

 叔父さんからも何か言ってやってください」



確か、そんな事を言った。

今から考えると、本当に困った子は

母親と一緒にお見舞いになんか行かないと思う。



だけれど其の時も

やはり僕は黙って居た。

叔父は笑ったかもしれない。

僕はよく見て居なかった。

叔父は言った。



「コイツは大丈夫だよ。

 コイツは自分で気付ける奴だ」



静かに言った。



「コイツは何も心配いらんよ。

 コイツは大丈夫な奴だから。

 な?」



叔父は僕の方は見ずに、静かに言った。

窓際に座り、やはり僕は黙って居た。

そうして最初の見舞いは終わった。




(風が吹いて居るな。春の種が運ばれて居る)




少なくとも幼い頃において。

僕は割と優等生のように育ったと思う。

両親や教師の期待に応えて育ったと思う。

少なくとも幼い頃において、だけれど。


幼い頃から絵を描き続けて居た僕は

地元で唯一、美術科の在る高校を選択した。

そして其の高校生活は(今、振り返ってみるとだけれど)

他人から見て、酷く堕落するような生活でも在ったとも思う。


あの頃の僕等にとっては

煙草の美味さだとか

万引の上手さだとか

他校生との因縁がどうだとか

誰かが拉致られてどうだとか

本当に今じゃどうでも良い出来事が

吐き気がするくらいに、世界の全てだった。


叔父は其のような僕を

諭す事も無く

叱る事も無く

唯、大丈夫だと言った。




(ジワジワジワ)


(ジワジワジワ)


(種を撒いておけよ。季節は迫ってくる)




雪は溶けた。

草は生えた。

季節は春になった。

そうして僕は

叔父が末期の癌で在る事を知った。



僕は二度目の見舞いに行った。

其れが最後の見舞いになった。



天気の良い日だった。

病院までの小さな道を歩いた。



僕は当時付き合っていた彼女を連れて行った。

幼い頃から僕を可愛がってくれた叔父に

どうしても一目会わせておきたかった。

病院までの小さな道を二人で歩いた。




(ジワジワジワ)


(ジワジワジワ)


(種は撒いたかね。花は何時でも君達に味方するもんさ)




タンポポが咲いて居た。

道の途中に、タンポポが咲いて居た。

僕は数本の、タンポポを摘んで居た。


小さく、しかし誇らしげな、黄色。


当時あまり金を持ち合わせていなかった僕等の

他愛の無い、お見舞い品のつもりだった。

僕が摘んで、彼女も摘んだ。




とても天気の良い日だった。




病室に着くと

最初に叔母が出てきた。


何を話したかは覚えていない。

もしかしたら思い出せないようにしてる。


とにかく其の時に僕が見た叔父は

まるで別人のように酷く痩せ細り

もう声も出せなくなって居た。

部屋は個室で薄暗かった。


何を話したかは覚えていない。

もしかしたら思い出せないようにしてる。


僕は純粋にショックだったのだと思う。

だって前に会った時は元気だった。

僕はちゃんと顔さえ見なかったけれど

あの日の叔父は普通に何かを話してた。



手元のタンポポを渡す事さえ随分と忘れて居た。



叔父は僕等に何かを言おうとした。

もうまるで何も聞き取れなかった。

叔母がそっと耳を近付けた。


叔母は引き出しを静かに開けると

何かを取り出して、僕に手渡した。



「二人でコーヒーでも飲みなさい」



ティッシュに包まれた千円札だった。

僕は何も言えずに、只、ボンヤリとして居た。

そう言えば、叔父はコーヒーが好きだったな、と思った。





(嘆くなよ。季節は何の為に巡るのか)


(嘆くなよ。春風は何の為に吹くのか)


(踊るにはまだ寒い。じっと季節を待つんだ)





タンポポを手渡した。


僕は見せたかっただけなんだ。


外は今、こんな花が咲いてますよ。


僕は今、こんな女性と付き合ってますよ。


そう、叔父にしっかりと見せたかっただけなんだ。


叔父は嬉しそうに、タンポポと彼女を眺めた、と思う。












数週間後、叔父は亡くなった。












あのタンポポはきっと

最期には渇いて枯れただろう。

彼女とは其の後、数年間付き合い

そうして、やがて、僕等も別れた。


だけれど、僕は叔父に見せた。


あの日

僕が摘んだ、花を。

僕が選んだ、今を。


素敵な花を見つけたなら

誰かにも見せたいと思う。

思うから僕等は花を摘む。

思うから僕等は花を贈る。

誰かに見せたい気持ちを込めて。


何も残らない事なんて無い。

もしも渇いて枯れたとしてもだ。

何も残らない事なんて無い。

もしも老いて果てたとしてもだ。


ティッシュに包まれた千円札は

僕の実家の引出しの中で

今も其の日のままで残って居る。


あの日

タンポポを摘んだ記憶や

叔父に見せた其れ等の風景は

僕の中に捨てる事も無く、残って居る。

今はもう何一つ、形など無いとしても。










(アンタは大丈夫だよ)



(アンタは自分で気付ける奴だ)



(アンタは偉そうに、今日も何かを話すのだろう?)



(覚えておけよ。それが17才のタンポポの、現在の姿なのさ)









本日も何処かでタンポポは枯れるだろう。


嘆くなよ。季節は何の為に巡るのか。


嘆くなよ。春風は何の為に吹くのか。


大丈夫。


花は何時でも僕等に味方するもんさ。

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