■英数字
ICKY THUMP




今から4分14秒だけ、僕に時間をくれないか。
STRIPES の ICKY THUMP が始まり、終わるまでの時間で結構だよ。
その時間内に僕が、君にどれだけの事を伝えられるかなんて、まったく解らないし、
そもそも何ひとつ伝わりなんてしないかもしれない。

愉快な話題を求めて足を踏み入れた場所で、深刻な話題を切り出されるなんて、
悪質なマルチ商法まがいの詐欺によく似た感覚を覚えるだろうけれど、
勘違いするなよ、徹頭徹尾、僕なんてこんな人間なんだ。

何かを始めなければならないと、誰かが口にしてる。
同じように君も口にするし、僕も口にするのだけれど、何も始まらないのは何故だ。
A点から始まり、B点を経て、C点へ辿り着けると思い込んでるのは何故だ。
それは単なる思い込みに過ぎないんだと思う。

高校時代の終業式の最後に、貞廣が言った台詞が秀逸で、
「未だに何も始まらないのではなく、未だに何も終わらないだけなのではないか」
それで次の日からは夏休みだった。

貞廣は家の近所のスーパーマーケットでアルバイトをしていた。
僕等は夜中の、客が少ない時間を見計らって、貞廣のアルバイト先へ行った。
午後9時半頃が狙い目で、その時間帯は店長もいなかった。

僕等は350mlの缶ピールだとか、安い焼酎のボトルだとか、炭酸飲料だとか、
ポテトチップスだとかを買い物カゴ一杯に詰め込んで、貞廣の立ってるレジに並んだ。
貞廣はカゴ一杯の商品を、わざとバーコードを読み取らず、素早くポイポイと別のカゴに移した。

それで僕等は大量の酒と菓子を無料で手に入れて、店を出た。
それから仲間の部屋に辿り着くと、グラスに酒を注ぎ、菓子の袋を開き、乾杯した。
仲間内全員がお気に入りの音楽があって、それを大音量で流したりもした。

午後10時過ぎ、午後10時半頃か、アルバイトを終えた貞廣がやって来る。
貞廣は別に何の荷物も入ってないであろう青色のカバンを肩にたすき掛けにして、
それを床に降ろすと息を吐き出し「ああ、疲れた」なんて言っていた。
その姿は僕等よりも少しだけ大人に見えた。

貞廣は、自分が働く店から、半ば僕等に盗まれたような缶ビールのフタを開け、
半ば自虐的に(共犯者的な面持ちで)、それを自分で飲んだ。
誰かが「おお、いい飲みっぷり」なんて大人を真似た口調で言って、ポテチを食った。

「なぁなぁ、貞廣」

恐らくは既に真赤な顔になっていたであろう僕は、
貞廣の隣に座り、適当に「はい、乾杯」なんて言った後で、話しかけた。
貞廣は女みたいな真白な顔を赤く染めもせず、缶ビールを飲むと「ん、どした?」と言った。

「今日な、教室で言った台詞、あれはどういう意味?」

「教室で?」

「未だに何も始まらないのではなく、未だに何も終わらないだけなのではないか」

ははは、と焦点の定まらない笑い方をして、また貞廣は缶ビールに口を付けた。
クーラーどころか扇風機も無い部屋は、小さな窓を開けても、ちっとも涼しくならなかった。
タバコの煙が部屋中に充満していたが、僕等はそれをカッコ良く、誇らしいモノだとさえ思っていた。

「終わりを待ってるよ、待ってる」

貞廣は缶ビールに口を付けたまま、缶を斜め持ちながら話した。
僕等のお気に入りだった音楽は、今聴くと赤面してしまうような音楽だった気がする。
何をカッコイイと感じていたのかは解らないが、きっと僕等はそれを共有する事が気持ち良かった。

「缶ビールを飲み干すのと同じなんじゃないか」

「缶ビールを?」

「だって僕は缶ビールなんて、別に好きじゃないんだ」

誰かが焼酎を注いだままのグラスを倒して、灰色のカーペットが濡れた。
何が可笑しかったのかは解らないが、僕等はそれを見て「ティッシュ!ティッシュ!」と笑った。

何にも始まらない気がしていたけれど、既に何かを始めてしまった後だったからかもしれない。
それで僕等は「何も始まらない」とボヤいていたのだから、滑稽な話だ。
僕等がお気に入りの音楽を流したのなら、やっぱりそれは止めるまで、止まらないんじゃないのか。

不意に、貞廣はCDプレイヤーに近付くと、停止ボタンを押した。
瞬間、部屋中にカーペットをティッシュで拭く笑い声だけが、妙に響いていた。
貞廣は床に置いた青色のカバンから何かを取り出すと、それをCDプレイヤーに入れた。
再生ボタンを押すと、それは僕等が聴いた事のない音楽だった。
全員、何を言えば良いのか解らない顔をしていた。

「ごめんな、僕はコッチの曲の方が好きなんだ」

貞廣は言った。
僕も確かに、コッチの音楽の方が好きだな、と思った。
全ては既に、とっくの昔に始まってしまっているが、何を選ぶかは自由だ。
それは4分14秒の、それほど長くも、短くもない曲だった。

丁度、STRIPES の ICKY THUMP が始まり、終わるまでの時間と同じだった。

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