■英数字
TAMAE in the MIST.




「何か楽しい事ある?」

テーブルの上に課題を広げながら、植草智子がポテトを食べる。食べながら、そう訊ねる。
何か楽しい事があるか、ないか、で言えば、ポテトを食べながら人生の退屈を訴える植草智子に対して、
一抹の面白さを覚えるのだが、あえて私は何も言わずに笑ってみせた。「平和だよねぇ、アンタは」
言いながら植草智子は、二本目のポテトを食べ、欠伸姿を晒すと、手元のシャープ・ペンシルを持ち直す。
課題に目を向けたかと思うと、やはり三本目のポテトに手を伸ばし「ウチラも、もう若くないからな」と嘯いた。

もう若くないからな?
だったら何時になれば「まだ若いからな」と言えるのだろう、植草智子よ。
それとも若き日は、もう二度とは戻って来ないのか、20代入口にして。答えろ植草智子。
しかも植草智子にしてみれば三月に誕生日を迎えたばかりだから、少し前まで10代だったではないか。
私に言わせれば植草智子は、まだひよっこ。いやさピヨッコ。むしろPIYO-COと呼んでも良い。

私なんか誕生日が四月なモンだから、皆より随分と早く20代の入口を迎え、今や21である。
植草智子……いやさ植草PIYO子と同級生にも関わらず、一歳上である。何とも歯がゆい関係なのである。
「ねぇねぇ、ちょ、玉恵」
欠伸にさえ飽きたらしい植草PIYO子が、悪戯を思い付いたように、ポテトを咥えたままの顔を近付けた。
「……何?」
「夏休みになったらさ、みんなで海に行こう!」
別に悪戯でも何でも無かった。
「……みんなって誰?」
「みんなはみんな! 亜理紗と萌子とアグネスと、あと銀色シャドウと新幹線ノゾミと、たこ焼き@ちゅい太」

どうでも良いけど、同級生をmixiの登録ネームで呼ぶ癖は、もう止めた方が良いと思う。
たこ焼き@ちゅい太に至っては、わざわざ「たこやき・アットマーク・ちゅいた」と呼んでいるくらいだから、
聞いてる方も面倒な事、この上ない。「海に行くのは良いよ、この課題が終わったら考えよう」
私の返答に対して、植草ピヨ子(mixi登録ネーム・花★呼)は、明らかに不服そうな表情を浮かべて言った。
「課題が終わったら、もう考える気しな〜い!」
「課題が終わらないなら、考える必要ないじゃん、海なんか行けないんだから」
「課題は終わらせない! でも海には行くの!」

めんどくさっ。女のワガママめんどくさっ。
そのワガママの中に、若さ以外の要素の、何が含まれているというのか。
数分前まで「若くなかったウチラ」は、呆気なく若さを取り戻し、海を見たいと呑気にぼやいている。
「玉恵はさぁ、最近恋とかしてないの?」
「……はぁ?」
海から恋に、どの思考経路で辿り着いたのかは知らないが、ハンドルネーム花★呼が問う。
四本目のポテトを食べながら、正しく「明日地球が滅びるかもしれない」なんて微塵も思っていない表情で。
その幼い若さを全面に押し出した表情で、私に問うている。

「恋だよ、恋」
「課題が終わったら答えるよ」
「課題なんか良いからさぁ! ガールズ・トークしよ!」

うぜぇ。何だろうか、その「ガールズ・トーク」という単語は。ああ、帰りたい。
何故に私は、植草智子と仲が良いのだろう。否、別に仲が良から一緒にいる訳ではなかろう。要するに、
「現実逃避したいんだよね!」
「……現実?」
「逃避だよ! 逃避! だから課題の事なんか考えたくないワケ!」
「……それで突然、海に行きたくなったり、恋の話を聞きたくなったり?」

それから私と植草智子が、友達になってみたり。
細いシャープ・ペンシルを一回点。ドリンクは空っぽ。トレイの上にストローの袋。
使いもしない灰皿。ガム・シロップ。こぼれたポテト。一本。二本。三本目は半分、箱の中。
この店には学生が多い。M字の看板が見える。
「……一本ちょうだい」
植草智子のポテトを、奪い取る。

「んで、何の話が訊きたいって?」

私はポテトを咥えたままの顔を、植草智子に近付けた。
瞬間、智子は困ったような驚いたような、とても不思議な顔をして、笑った。
「どしたの、急に?」
「別に、話してもいいかなって思っただけ」
「へぇ! 珍しいね、玉恵の恋の話!」
「自分から訊きたがったくせに、まぁいいや、ポテトちょうだい」

何か楽しい事ある?
はてな、この世は解らない事だらけ。楽しい事があるのか、ないのか。それさえ不透明。
そこで私達は、自分はもう若くないだとか、まだ若いだとか、海に行きたいだとか、恋の話をしたいだとか。
どうでも良いような事で、本日も退屈を誤魔化している。ところで、誤魔化しているのだとして、何が悪い?
煙に巻いたような態度で、霧の中のような態度で、嘘だか本当だか解らない態度で、現実逃避するよりも、
ずっと現実的だと思うわ。この意味の無いガールズ・トークとやらも。

さて、私は誰かに恋していただろうか?
忘れてしまったのか。思い出せないだけか。それとも初めから、無いのか。
どちらにせよ、それを考える事は、退屈しのぎの課題を終わらせるより、ほんの少しは楽しかろ。
植草智子が最後のポテトを拾い上げて、私の口に指を伸ばす。「ほれ、玉恵、最後の一本」

マックス・ドックスのポテトはフニャフニャで、油だらけで、時間が経つと美味しくないけど、
私は大きく口を広げて、植草智子のポテトを受け入れた。嗚呼、不味い。
不味いお礼に、私の好きな人の名前でも、教えてやろう。

おまけに、海の話でも。

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