■英数字
BOX(Rivers. Reverse. Rebirth.=49°-2)




リハビリなんてのは大抵、詰まらない事から始めなければいけない。
得たモノと失ったモノを両手に乗せて、凝っと比べて、どちらかの手を嘆くならば阿呆だ。
ところが世の中の大半は、阿呆が動かして居る。
阿呆ならば阿呆なりの方法というモノが在って、同じようにそれを教える奴というのも居る。

「呑気だな、本日も河は流れているのに」

何を吠えたいのかも解らなかろ。何を知りたいのかも解らないのに。
何を伝えたいのかも解らなかろ。何を知らないのかも解らないのに。

ほら、想像すると良い。
お前は小さな舟に乗り、大きな河を下って往く。
それは一本の激流であり、濁流であり、また緩やかで穏やかな糸だ。
流れに逆らってはいけないと、他人は言うだろう。
同じように、お前は考えるだろう。

「呑気だな、本日も河は流れているのに」

何の面白味も無い言葉しか出て来んよ。
他人が勝手に吐いた言葉に、お前は右往左往して居るのだから。
渓谷を沿い、青空の下、お前の舟は流れているのに、お前の気持ちが見付からぬ。

お前の舟が流れるならば、流れる為に、また流れるのか。
流されるのか、未だ流れるのか。
流れても、尚――。



『BOX(Rivers. Reverse. Rebirth.=49°-2)』



「眠……」

机の上に、突っ伏している。
別に眠くは無い。
只、眠いと呟いた方が春っぽいし、何より物語の最初っぽい。
物語の冒頭にとって「眠気」は重要なファクターとなる。

例えば食パン片手に「遅刻遅刻」と慌てながら道路に飛び出すのも、
道端で美少女と衝突するのも、それが実は転校生だったというのも、
全ては「眠気」の元で行われる。

だから今、俺は眠い。
それは物語の冒頭における重要なファクターに他ならないからだ。
俺は机に突っ伏して、同じ台詞を呟く。(まるで呟く事が決められていたかのように)

「眠……」

此処は箱だ。
俺は箱の中に居る。何時から居るのかは解らない。
数分前からのような気もするし、数十年前からのような気もする。

自分の名前は知らないが、思い出せるような気もする。
頭に浮かんだ最初の名前が、俺の名前だと言っても良いだろう。
だから俺の名前は    だ。
それ以外に思い浮かぶ名前など無いのだから。
どうだい、良い名前だろう。

アンタが箱を覗いて、俺を眺めている事だって、俺は知っている。
アンタはそんな感じで、箱を見下ろすようにして、随分と前から俺を眺めているんだろ。
アンタだよ、ほれアンタ。何、自分じゃないみたいな顔してるんだ。正しくアンタ。アンタだよ。

まったく此処は眠い。
箱の中で眠たがる俺と、箱の中の俺を眺めるアンタが、今、此処で出逢ったという訳だ。
眠気が物語の冒頭にとって重要なファクターになるという意味が解ったろ?
まったく何を真面目な顔して、小説なんか読んだ気になってんだ。
面白い話をしてくれよ、なぁ。

例えば、そうだ。
この箱の外には、何が在る?

よく解らないんだよな、俺には。
ずっと此処に居るもんだから。此処から見える風景さえ、よく解らない。
どうして俺が此処にいるのかも、どうしてアンタが俺を覗いているのかも、解らない。
キオクの片隅で誰かが泣いたり、怒ったり、笑ったりしている理由も、俺には解らんのだよ。

「呑気だな、本日も河は流れているのに」

へぇ、河が?
ソイツは長くて細い、水の糸の名前か?(それとも太くて短いだろうか)
ああ、名前は知っているよ。知っているような気がする。見た事もあるかもしれない。
忘れているだけさ。何時だって俺達は忘れているんだ。ああ、箱の中に居る、俺達の事だよ。

アンタは河の向こうから来たのか?
それとも何処から歩いて来た? 森や雲の向こうから? 月の裏側から?
流れに逆らい、逆らって、逆らい果たして、辿り着いたか? ようやく此処へ辿り着いたか?

此処には何にも無いはずなんだが、何も無いのが良いんだって奴も居る。
アンタは物好きだ。眠る為に来たのだろ。本当に物好きだ。
河を越えて、辿り着いて、わざわざ眠る。

眠いな。世界は眠いんだ。
だからアンタは、俺を起こしに来たのだろ。
アンタが違うと言い張ったって、俺はそうだと信じるよ。

俺は全ての名前を知らない。
知らないままで、また目が覚める。
その瞬間に、全ての名前の意味を知るんだ。

おはよう。
アンタの名前を思い出した。
俺は今から箱を出るから、アンタは此処で眠っておくれ。
アンタに俺の場所を譲るよ。
さよなら。



――壁をよじ登り、箱の外へと出た瞬間。
圧倒的な水量と轟音に、俺は圧し潰されそうになった。
それは一本の激流であり、濁流であり、また緩やかで穏やかな糸だ。
流れに逆らってはいけないと、他人は言うだろう。
だけれど俺は、逆らわなければならない。
アンタは今頃、箱の中で眠っているのだろうかね。

死よ。
アンタの名前は何時だって複雑だ。
すぐに忘れそうになる。
恐らく俺は一度死に、あの箱の中で眠っていたのだろ。

流れに逆らい、果たして俺は、生き返られるのだろうかね?
この河を逆さに進むだなんて誰にも出来なかろ。
大丈夫だろ。
俺の舟にだけモーターを付けてしまえば良かろ。

「呑気だな、本日も河は流れているのに」

はは、呑気さ。

だがな、生よ。
アンタの名前も思い出した。
アンタの居場所も、もう知って居るのさ。
俺は必ず辿り着き、吠えて、叫んで、咥えてしまおう。

生と死の箱よ。
よく見聞きし、覚え、解れ。
アンタの監視を振り切って、俺は今から――ザブンッ!








――此処には初めから、何も無い。
同じように初めから、此処に全てが在るんだ。
何の話か解らないだろ。俺もよく解らない。だからよく解る。
リハビリなんてのは大抵、詰まらない事から始めなければいけない。
此れは、そういう話だよ。

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