■英数字
SECONDARY? (Happy Life is like a Happy Scroll.)




(言うなれば僕等の全ては、互換性の誤解だ。)

浅い眠りの中で、僕は君を待って居た。
雪が溶けて春が訪れ、夏が過ぎれば秋を待ち、また冬が来るように。
其れは自然に、順序良く巡り合い、再び此処に戻ってくるべきはずの事柄だった。
ホット・ケイクを焼き過ぎて、茶色い焦げ目が匂いを発して居る。しかし不快では無い。
同じように、僕は不快では無い感情と環境の中で、君を待って居た。
浅い眠りの中で。
ほとんど眠りに落ちかけた、其の淡い春の途上で――。




『SECONDARY? (Happy Life is like a Happy Scroll.)』




――笑い声が聞こえて振り返ると、誰も居なかった。
春の公園には花が咲き始め、もう雪の面影は無く、無人の自転車が放置されて居た。
クロッカスが咲いて居る、小さな花壇の傍を、僕と伊紀は並んで歩いた。

「誰も居ないね」

伊紀が言った。ああ、誰も居ないなと同意して、僕は特に声を出さなかった。
何処からか人の声は聞こえるし、歩く音も、走る風も感じるのだれど、姿形は見えなかった。
其れは存在しない訳では無く、存在するが確認できないだけの事柄だった。
不快では無かった。だから僕は空気を吸った。

「やり残した事、無い?」

伊紀は台詞とは裏腹に、クロッカスを眺めたまま、僕を見ては居なかった。
「何が?」
伊紀の横に立ちながら、僕は同じく、クロッカスを眺めた。
「やり残した事、無い?」
「何で?」
「もうすぐでしょう、誕生日?」
ああ……と言いかけて、自分の誕生日が近付いている事を、僕は思い出した。
忘れて居た訳では無い。只、思い出した――。


(言うなれば僕等の全ては、互換性の誤解だ。)


――大人になるに従って、忘れながら思い出す、全ての事柄と同じ理屈で、
正しく僕は思い出し、思い出した事を忘れる事さえあった。
あの日、伊紀に訊かれた問の、あの日の答を、僕は思い出す事が出来ない。
やり残した事があった。やり残したまま十年が経ち、僕は大人になった。
あの日の其れが何だったのかを、僕は思い出せなくなった。

十年前の僕が知らない町を、今の僕は歩いて居て、
十年前の僕が知らない公園で、あの日と同じ花を眺めて居る。
伊紀は今頃、どんな町に住んで、どんな人を好きになり、どんな事を考えて居るだろう。
其れは思い出す事も、忘れる事も出来ない、僕の知らない事。
初めから知らない事――。


(あはは……)


――笑い声が聞こえて振り返ると、子供達が走って居た。
春の公園には花が咲き始め、もう雪の面影は無く、自転車が通り過ぎて往った。
色んな花が咲いて居る、大きな花壇の傍を、僕は一人ぼっちで歩いた。
鮮やかに一輪、クロッカス。

「なぁ、やり残した事は、無いか?」

僕は、僕に問いかける。しかし返答は無い。
忘れてしまったのかもしれない。其れとも、思い出せないだけか。
そもそも最初から答なんか知らないのかもしれないが、知らないのだとしたら、誰か。

「教えてくれ、僕は」

知らない事を、知りたい。
何度も積み重ねる無知の、其の愚かなる純粋の、果てる行く末を知りたい。
僕と伊紀は約束を交わした。果たす宛など無い約束だ。
(再会しましょう、何時か、何処かで。)
伊紀は言った。其れは確かだ。

其れから他にも。
伊紀は最後に、何かを言ったはず――。


(言うなれば僕等の全ては、互換性の誤解だ。)


――誰も居ないね。

やり残した事、無い?

何が?

やり残した事、無い?

何で?

もうすぐでしょう、誕生日?

ああ。

やり残した事、無い?

別に。

あはは。

誰かいるな。

何処に?

公園に。

公園の何処に?

公園の何処かに。

ふぅん。

だけど誰も見当たらない。


行かないの?

何処に?

何処かに。

何処かにって、何処に?

人が見付かる場所に、何処かに。

あはは。

もうすぐでしょう、誕生日?

ああ。

やり残した事、無い?



(あの瞬間、僕は何かを言った。其れが何かを、僕は思い出せない。)

(言うなれば僕等の全ては、互換性の誤解だ。)

(只、伊紀は、続けて言った。)



「見えないのよ、世界をスクロウルさせないと。
 動かないのよ、世界をスクロウルさせないと。
 其れとも君は、知らないかしら。
 何時までも此処に居るだけで、何時かは視界が変わるとでも?」



浅い眠りの中で、僕は君を待って居た。
雪が溶けて春が訪れ、夏が過ぎれば秋を待ち、また冬が来るように。
其れは自然に、順序良く巡り合い、再び此処に戻ってくるべきはずの事柄だった。
ホット・ケイクを焼き過ぎて、茶色い焦げ目が匂いを発して居る。しかし不快では無い。
同じように、僕は不快では無い感情と環境の中で、君を待って居た。
浅い眠りの中で。
ほとんど眠りに落ちかけた、其の淡い春の途上で――。


(あはは……)


――其の途上で、目が覚めた。伊紀は何処へ行った?
彼女が最後に言った台詞を、僕は思い出した。 忘れながら、またしても再び。
僕は立ち上がり、大きな花壇の傍を離れた。クロッカスは、やはり素直に咲いて居た。
色付くのは、花弁――。


「君さえ歩き始めたら、簡単に見付けられるはずよ?」
「別に見付けたいモノなんて無いけど」
「やり残した事、無い?」
「さ、どうかな」


――やり残した事だらけだよ、伊紀。
見付けたいモノも、やり残した事も、見過ごしたまま大人になった。
間に合うか、間に合わないか、だなんて、そんな事は伊紀、どうだって良いんだよ。
僕の世界は、やり残した事だらけだよ。だけど相変わらず、僕等の世界は回り続けて居る。
楽しい事と、悲しい事を、両手に少しだけ持って、僕は世界をスクロウルするんだ。
やがて視界が変わるだろう。


(君に会いたいよ。ずっと会いたかった)


なぁ、伊紀。
さっき公園で振り返ったら、子供達が走って居たよ。
もしも君を見付け出せたとしたら、伊紀、そんな普通の話がしたいんだ。

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