■あ行
インスタントライフ




「ねぇ、何が欲しい?」

アカリが僕に言ったのは、彼女がいなくなる一週間前の夜だった。
その夜の僕はといえば、一週間後にアカリがいなくなるなんて考えた事も無く、
かといって特別に欲しいモノなんて無くて、ただ適当に「何も無いな」とだけ答えた。

「何も無いな、じゃ困るな。何が欲しいか言ってくれないと」
「本当に無いんだもん、仕方ないじゃんか」
「例えばさ、そうだなぁ……手編みの手袋なんてどうだろう?」
「そうね、いいね、じゃあそれで」
「じゃあそれで、って何よ。ひどいなぁ、手編みは大変なんだから」
「そうだろうね、自分で編むのは大変だろうね、だから別に何も要らないよ」

どうしてアカリがそこまでして僕に何かをプレゼントしたかったのか、
その夜の僕には解らなかった。
僕の誕生日は一ヶ月前に終えたばかりだったし、アカリの誕生日は二ヶ月前だし、
ボクラが付き合い始めた記念日なら、三ヶ月前に遡らなければならなかった。
只、一週間後はクリスマスという事だけは、ちゃんと知っていた。

「手軽なモノで良いよ、簡単なモノで」
「簡単なモノ?」
「そう、簡単なモノ。今からでも間に合うようなモノ」

例えば一緒に映画を観るだとか、食事に出かけるだとか、ドライブだとか、
気が向いた店に入って気に入ったモノを買うだとか、別にその程度で良かったのだ。
何かを準備するなんて大変だし、面倒だし、ボクラは毎日忙しくて、もう子供じゃないし、
ワクワクする事やドキドキする事を一週間も持続するなんて、今じゃ出来やしなかった。

喩えるなら、そう、インスタントのスープを飲み干すみたいに。
手間隙かけて仕込んだり、煮込んだり、調理する必要なんて無い時代なのだ。
その瞬間、その一瞬、時間を無駄にせず、効率良く、欲しい物を手に入れる時代なのだ。

エネルギーは10秒チャージ。
お腹が空いたらお湯をかけて、たった三分。
笑いたい時は、携帯電話で笑える動画を検索すれば良い。
一週間後の夜、僕が何を欲しがっているかなんて、まるで想像できないな。

「ねぇ、今からでも間に合うようなモノって、どんなモノ?」
「……そうだな、一緒に夜景を眺めるとかさ」
「それが今、君が本当に欲しいモノ?」
「いや、それはどうだろう」

季節は冬の始まりから冬の終わりの中間で、まだ春は遠く、
一週間後の夜、僕が何を欲しがっているかさえ解らなかったような僕が、
一年後の今、今日、今夜、何を欲しがっているかなんて、誰にも想像できないだろう。
どうして言えなかったのかな。いや、思い付きもしなかったんだ。もし思い付いたとしても。
思い付いたとしても、恥ずかしくて言えやしなかったんだ。

「僕はね、君が欲しかったんだよ」

この台詞は今、今日、今夜の、僕の台詞。
ああ、もう遅すぎる台詞。
一年寝かせて、ようやく言えた、僕だけの台詞。
ところがアカリは、もういない。
僕の横にいない。
何処にもいない。

一週間後の夜。
一年前の今日、アカリはいなくなった。

君が欲しかったんだけどな。
インスタントのスープを飲み干すみたいに、
僕の言葉に反応して、数分後にアカリが誕生する訳もなく、
僕は小さな横断歩道の前で、只、ぼんやりと信号機を眺めているのだ。

手軽なモノが欲しかったのだ。
苦労せずに手に入るようなモノばかり欲しがっていたのだ。
それは別に僕に限った事じゃないはずで、最近じゃ誰もがそう思ってるはずだ。
誰も思っていなければ、どうしてこんなに便利な世の中なんだ?

無駄に便利だ、世の中はおかしい、何かが狂っている、腹が立つ。
どうして笑っているんだ、何がおかしい、何にも面白い事なんか無いじゃないか。
教えて欲しい、どうして笑っている、アカリが存在しない世界で、どうして笑う必要がある。
泣いて叫びたい気分だよ、無駄に明るいな、街中が。

小さな白い袋を手に持った女性が、嬉しそうに男性の手を握り、僕の横を通り抜ける。
点滅する信号機の奥には、点滅するネオン。白熱灯に照らされた大きな看板。
居酒屋からサラリーマン。愚痴をこぼしあう男同士。ポイ捨てタバコ。
クリスマス・ソング。一年に一回。大きな鈴。赤。白。緑。

なぁんにも欲しいモノなんて無いんだ。
だってアカリ、君はもう何処にもいないんだもの。
誰が生まれた日でも、誰が死んだ日でも、どちらでも良いんだ。
クリスマスってのは一年に一回、欲しいモノを手に入れられる日じゃないのか。
本当に欲しいモノを、欲しいと言っても良い日じゃなかったのか。

何時からこんな日になっちゃったんだろ?
本当に欲しいモノを手に入れられるのは、ほんの僅かな人達で、
多くを望みすぎるのは自分を傷付けるだけよって、大人が子供に教えてるんだ。

手軽に手に入るモノばかり集めてたら、ポケット一杯に膨れ上がってしまった。
だけど本当に欲しかったモノなんて一個も無いよ。
知らない兄ちゃんが僕に近付いて、チラシやらティッシュやらを渡そうとするけれど、
今すぐ手に入る興奮も快感も、きっと一分後には冷めてしまうんだろう。
インスタント・スープみたいな世の中みたいだな。

「ねぇ、何が欲しい?」

アカリが僕に言ったのは、彼女が居なくなる一週間前の夜だった。
その夜の僕はといえば、一週間後にアカリが居なくなるなんて考えた事も無く、
かといって特別に欲しいモノなんて無くて、ただ適当に「何も無いな」とだけ答えた。

「ねぇ、もしも当日でも間に合うようなモノが、本当に君の欲しいモノだとしたらね」
「……ん?」
「私の楽しみは、きっと当日でも間に合うような、安っぽい楽しみね」
「どういう意味?」
「安っぽい期待に応える為の、安っぽい努力だね、コンビニで買えちゃうような楽しみだわ」
「なるほど、そりゃ便利で良いな」
「君はバカね」

アカリはそう言って、わざと怒ったフリをした。
いや、本当に怒っていたのかもしれない。
だけど解らなかったんだ、今でも解らない、教えて欲しいくらいだ。
僕は何て言えば良かったんだ。

コンビニは便利だ。
別に今に始まった事じゃない。

バイト帰りの夜11時。
まだギリギリ、クリスマスの夜。
実際、僕はこうしてコンビニに寄っている。
一人用のチキンを買っているのだ。

何て虚しいクリスマスだと思われるかもしれないが、
自分なりに、精一杯に、クリスマスの夜というモノを演じてみたいのだ。
シャンパンを買っておきたいところだけれど、どうせ一人で飲むならビールだと思う。

ハイネケン。一人用のチキン。タバコ。
レジに並んで財布を取り出し、金を払って気軽に手に入れる。
それが本当に欲しかったモノかと問われたら、やっぱり少し考えてしまう。
だけどね、アカリ。
やっぱり人間は、そう簡単に欲しいモノなんて、手に入れられないと思う。

だから工夫して、研究して、世の中は便利になってきたんだと思うよ。
誰もが出来るだけ平等に、争わず、同じモノを手に入れられるように。
安いチキンだって、クリスマスの夜に食べられないよりは、きっとマシだと思うよ。

だけれど。
それでも。
ああ、ああ、それでも。
やっぱり僕は、アカリ、君が欲しかったな。
もしも君がコンビニに売っているような君だったとしたら、
もしかしたら僕は、こんなに君を欲しがったりはしないのかもしれないな。

一週間後の夜。
一年前の今日、アカリはいなくなった。

要するに。
それはクリスマスの夜だった。
一年前のクリスマスの夜に、アカリは消えた。
どうしてわざわざ、クリスマスの夜に、アカリは消えたのか。

コンビニの袋をぶら下げながら、我が家に到着する。
ポケットから鍵を取り出して、半回転。
僕の部屋の扉が開く。


開かない。
反対側に半回転。
扉が開く。


部屋に、灯り。


「おかえり」

部屋の奥から声。
よく覚えている、あの声。
目の前に座ってるのは、アカリ。

「……何で?」
「何で? 何が? おかえり」
「……いや、おかえりっていうか、何で?」

アカリは立ち上がると、目を細めるように僕を眺めながら、笑った。
何が起きているのかまったく解らないままだけれど、今、解っている事はある。
ああ、何という存在感。アカリ。

「ねぇ、何が欲しい?」

わざとらしく言う。
もしかして、まさか、いやもしかすると。
わざわざ、それを心から言わせる為に、アカリは消えたのかな。
だとしたらアカリも充分に、バカだ。

「アカリが欲しい。一年間、ずっと欲しかったんだ」

彼女が笑った。
それからコンビニの袋を指さして、
「一人で過ごす気だったんだ」と言って、また笑った。
いや、もしかして泣いているのかな。
一年間、準備した甲斐があったな、とアカリは言った。

ああ、確かにそれは、今からでも間に合うようなモノじゃなくて、
決して簡単なモノでも、手軽なモノでもなくて、どちらかと言えばきっと、
今の世の中じゃ、あんまり馬鹿げたプレゼントだと思うよ、アカリ。

何時からこんな日になっちゃったんだろ?
本当に欲しいモノを手に入れられるのは、ほんの僅かな人達で、
多くを望みすぎるのは自分を傷付けるだけよって、大人が子供に教えてるんだ。

「チキンがあるよ、ビールもある、一人分しか用意してないけど」

ああ、ここに来て、なんてインスタントな準備なんだ、僕って奴は。
ところがアカリは笑った。仕方ないねと笑った。
だから僕も笑う事ができたんだ。

便利な世の中だ。
それが全て悪い訳では無い。
だけれど、ほんの少しでも、特別な何かを知らなければ、
手軽なモノに囲まれたって、それは単なる日常にしか過ぎないんだと思うよ。

特別なアカリと、手軽なチキンとビールを分け合う。

それで良いのだ。それが良いのだ。

ああ、嬉しいのだ。



今夜は、クリスマスなのだ。

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