■あ行
アイン(your step means my setup.)




「compression internal organs が値上がりするんだって」

「へぇ」と呟いたまま、サワコの言葉を遮るように、僕は歩き始めた。
太陽は地面から垂直に伸びて、真上から直射的な熱風を、僕等に吹き込んでいる。
噂話は嫌いだ。誰も得しないから。真実は大体の場合、真実以外にはならない。なってはいけない。

ところが噂話は真実をいとも簡単に嘘に変えて、悪ぶる事も無く他人のフリをしている。
誰にも責任が降りかからないのは丁度、真夏の砂浜で抱き合う恋人同士みたいなもんだ。

「責任は降りかからない。迷惑はかかる」
「それ何の話?」
「別に」

グランシオ・スワップから南南西に伸びる国道を時速120qで進んでいたら、やがて海が見えるだろう。
そういう話だ。
要するに、

「実体の無い実体が、真実に成り代わっているって話さ」
「よく解んないな」

サワコは波音に耳を傾けて、もう僕の声なんて聞いちゃいなかった。僕だって同じだ。
よく解んない事柄に、何とか意味を与えながら、わざわざ此処までやって来たんだろ。
今更、失った荷物と、手に入れた荷物を、両天秤に架ける行為に、大層な意味なんてあるか?

「無いね。何も無い」
「何の話?」
「この言葉に意味なんて無いって話」

言葉は虚構だよ、サワコ。ならば僕等の生死も同じ事。実体の無い実体が、真実に成り代わっている。
エナメル質に濡れた海と、無色透明の空気。指に触れて感じるサワコの肌。何処にも差異なんて無いのさ。
それなのに僕にとって、サワコが唯一絶対的に、サワコで在り続ける理由は何だと思う?
認識しているという事。欲求しているという事。それを疑ってしまうと、全てが成立しなくなるという事。

「笑うって行為に、よく似ているな」
「はははっ」

恐らく意味も解っていないのに、サワコは短く笑った。眼前に広がる、静かな海を眺めたまま笑った。
意味なんて無い事柄が欲しいよ、サワコ。認識できない欲求。僕は、それが欲しい。
何をするにも情報が多すぎるんだ。情報に伴う理由が必要になる。
理由は噂話に変わり、真実は嘘に変わる。誰も得なんかしないよ。
宛を失くした迷惑だけが残るだろう。誰に? ――僕等の知らない誰かに。

「僕等の知らない誰か、ね」

知らないという事は、存在しない事と同じか? 同じでは無い。
見えないという事が、存在しない事と同じでは無いように。太陽が放射したガンマに、誰も気付かないように。
サワコの悲しみに、僕が気付かないように。黒点が発生し、質量が増加し、紅炎が噴出したって気付かない。
惑星が飲み込まれる最期の瞬間に、僕とサワコは悟るだろう。

「compression internal organs が値上がりするんだって」

「へぇ」、と呟いたまま、先程と同じ会話を繰り返した事に、僕は気が付いた。
生命を維持する身体機能を、たった一つの臓器に圧縮し、半永久的に生きる事を、最初に望んだのは誰だ?
だけど、それは噂話だよ、サワコ。誰が最初に望んだとしても、宛を失くした迷惑が残るだけだ。
ところが誰もが半永久的に生きるなら、誰もが半永久的に死なないという事。宛が在るという事。
だとしたら、それは。

「……それは、誰の為の命なのかしら」

グランシオ・スワップの空は青く、土は赤かった。
サワコが太陽を見上げて、一歩踏み出した。崖の上の小さな石が弾かれて、海に落ちた。
何にも意味の無い事で笑いたいんだよ、サワコ。喩えば明日、死んでしまう我が身だったとしても。
僕等の全てが、もう手遅れだったとしても。

「月が昇るまで生きていよう。それを見たら、次は太陽が昇るまで」

瞬間、宙ぶらりんの片足を止めたまま、サワコは笑った。
何となく、僕も笑った。

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