赤信号は点滅していた。

外に出るのはあまり好きではない。

だが、もう馴れた。

一日分の疲労と雑音を引き連れる術も

今では器用に身に付けたように思える。



もう深夜と呼ばれる時間帯。

仕事を終えて車を走らせる。

カーステレオに手を伸ばしFMラジオを流す。

深夜の車内に小さく流れ始める軽快な音と声。

何とも言えぬ安堵と充実。



実に単純で手頃な其れ等を引き連れて

青年は今日という日を終えようとしていた。

赤信号は点滅していた。



過去に青年には愛する女がいた。

もう二度と触れる事のできない女。

女は青年に沢山のモノを与えていた。

外に出ない青年が生活に困らない程に。



そして実に単純な意味で

女を失った青年は

一人で生きなければならなくなった。



金。



実に単純で切実な問題として

今の青年には金が無かった。

女が居なくなった当初は

青年は音楽を再び志した。



家の中でギターを掻き鳴らすだけの毎日。

其れでも息をしているだけの日々よりは、ずっと良かった。

だが当然、其れだけでは少しの金にもならなかった。

腹が鳴った。



バイトを探してみた。

割と簡単に決まった。

外へ出るのはまだ苦手だったが仕方が無かった。

生きようとすれば腹が減る。

仕方が無かった。



昼間はギターを掻き鳴らし

夜中はバイトで給料を稼ぐ。

そういう生活をする事となった。

夜中の方が少ない時間で時給が良いと思った。

青年の家から車で数分の繁華街。

接客業だった。



深夜まで働いて

家に帰って寝る。

昼過ぎに起きて

ギターを掻き鳴らす。

夜には仕事に向かう。


深夜まで働いて

家に帰って寝る。

昼過ぎに起きて

ギターを掻き鳴らす。

夜には仕事に向かう。


深夜まで働いて

家に帰って寝る。

昼過ぎに起きて

ギターを掻き鳴らす。

夜には仕事に向かう。


深夜まで働いて

少し仲良くなった仕事仲間に酒に誘われる。

給料も少しだけ入ったので付き合ってみる。

朝方に家に帰って寝る。

夕方に起きる。

頭が痛い。

夜には仕事に向かう。


深夜まで働いて

具合が悪いので寝る。

昼過ぎに起きれない。

そんな日があっても良いだろう。

夜には仕事に向かう。




仕事に行けば金が貰えるから。




仕事には馴れた。

一日分の疲労と雑音を引き連れる術も

今では器用に身に付けたように思える。

何時もと同じ時間。

家までの同じ道程。

FMラジオからは相変わらずの音と声。

今日一日の頑張りを認められたようで安心する。






でも一体何を頑張った。





気が付くともう随分とギターには触れてない。

ギターには触れてないが美味い飯は食える。

飯が食えなければ生きていけない。

金が無ければ飯は食っていけない。

金が無ければ生きていけないじゃないか。

だから仕事を頑張る。

頑張っている。




貨幣経済。

資本主義社会。




繁華街には人が溢れている。

赤い顔をして笑いながら通り過ぎる中年男性。

団体で大声を出しながら歩いていく若い男女。



楽しいのか。

楽しいのだろうな。




「時間」という概念を「労働」という行為で


「金」に変える。


「金」に変えた「時間」は同じように


「金」によって様々な「時間」に変わる。




「店で美味い飯を食べる時間」


「快適な住宅で睡眠する時間」


「雑誌に載っていた服を着る時間」


「仕事帰りに仲間と酒を飲む時間」


「休日に話題の映画を観る時間」


「素敵な車に異性を乗せる時間」


「綺麗な女を抱く時間」




金は様々な時間に変わる。

だから金は沢山あった方が良い。

金は人生を楽しく生きる手段だ。



貨幣経済。

資本主義社会。



仕事には馴れた。

一日分の疲労と雑音を引き連れる術も

今では器用に身に付けたように思える。

何とも言えぬ安堵と充実。

実に単純で手頃な其れ等を引き連れて

青年は今日という日を終えようとしていた。



「今日は帰って何食べよう」



フと

繁華街の片隅でギターを奏で歌う姿が

青年の目に入った。

繁華街ではよく見かける変哲無い光景。



地べたに座りギターを抱え歌っている。

外は既に寒い季節。

道行く人は足早で

誰も立ち止まらない。




声を発する度に白い息が飛ぶ。


冷えた空気の中に熱を伝える。


歌う。


大きな声で歌う。


大きな大きな大きな声で歌う。



冬の空。



冷たい。



白い息。



暖かい。



生きている。



歌う人。



























青年が愛した女に似ていた。

















青年は車を降りた。


彼女の元へ近寄る。


更に大きくなる歌声。


綺麗な声。


大きく開く口。


大きく響く声。


白い息。


生きる。






青年は其の姿に魅入った。






更に近寄る。


歌う女と少し目が合った。


更に近寄る。


目の前にしゃがみ込んだ。


歌う女は少し笑ったように見えた。


そして其のまま歌い続けた。



白い息が更に増えた。



開かれたままのギターケース。



其の中身が青年の目に入った。



散らばる小銭。



百円玉。



一枚。



二枚。







七枚。



其れと四枚の千円札。



何故だか思わず

青年は女の顔を見上げた。

女は楽しそうに歌を歌い

そしてギターを掻き鳴らした。



白い息を大量に発散しながら

やがて歌う女の歌は終息した。



歌う女は青年の目を真っ直ぐに見て

唇の両端だけでニコリと笑ってお辞儀をした。



仕事には馴れた。

一日分の疲労と雑音を引き連れる術も

今では器用に身に付けたように思える。





財布を開けば其処には一万円札が数枚入っている。





何とも言えぬ安堵と充実。

実に単純で手頃な其れ等を引き連れて

青年は今日という日を終わるはずだった。





財布を開けば其処には一万円札が数枚入っている。





夢。


金。


見る側と見せる側。


払う側と払わせる側。


青年が愛した女に似た女。


生きるという事を歌う女。





金は様々な時間に変わる。


いや


金は時間には変わらない。





愛した女と生きた時間は


もう二度と買い戻せない。





夢から覚めた夢。



金という名の現。



生きるという事。



其れ等の価値は。





金は人生における優劣だと言う人が居る。

金は人生を狂わせるのだと言う人が居る。

金は人生を喜ばせるのだと言う人が居る。

金は幸せに生きる手段だと言う人が居る。





「今日は帰って何食べよう」




青年はギターケースに一万円札を入れた。

歌う女の顔は見なかった。





















赤信号は点滅していた。



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