少女は空を飛んだ。

屋上の風は冷たく、太陽は西に傾いて居る。

一直線に延びた停止線は、何処までも続くように見える。


耳元のヘッド・フォンからは

PEARL JAM の音が漏れて居るが

現在、其れはあまり関係が無かった。


少女に不満や不安は、特に存在しなかった。

只、首に巻かれたマフラーが長すぎたのだ。

何時の頃からか巻かれた紺色のマフラーだ。

只、其れが長すぎたのだ。


要するに、漠然とした虚無と焦燥に関して。

少女は何一つ望んでなど居なかったのだ。

安穏と日常は繰り返されるべきであった。

少女は何一つ望んでなど居なかったのだ。

変化の最期に揺り返されるべきであった。


ところが少女は簡単に破壊された。

理不尽で不平等な事情に巻き込まれたら?

理不尽で不平等な事情に巻き込まれるだけだろう。

当然だ。

漠然とした虚無と焦燥は、そうして生まれる。


そして少女は屋上に立った。

屋上に立ちたいと望んだ訳ではないし

屋上に立ちなさいと言われた訳でもないが

只、少女は屋上に立った。


其の意味をよく覚えておいて欲しい。

少女には屋上に立つしか方法が無かったのだ。

屋上に立たずには居られぬから、そうしたのだ。


ヘッド・フォンの中で PEARL JAM がエンドレス・リピートした。

少女が好きだった ten の一曲目は何だったか。

そうだ、ONCE だ。


マフラーが長すぎるので、少女は苛立った。

そして次にこう思った。

このマフラーは何の為に在るのか。

少女は空を飛びたいと思ったのさ。


だからもう一度だけ言うけれど

少女に不満や不安は、特に存在しなかった。

只、首に巻かれたマフラーが長すぎたのだ。

何時の頃からか巻かれた紺色のマフラーだ。

只、其れが長すぎたのだ。


其れが少女の、理由だったのさ。





#01 ― the girl flaps in the air. ―

 『羽と屋上』




今、屋上に立とうとして居る人が

もしも居るならば聞いて欲しいんだ。

世界ってのは実に簡単に構築されて居る。

君が思ってるよりずっとだよ。


空が在る。

海が在る。

地面が在る。


たった其れだけなんだぜ。

たった其れだけで世界は構築されてる。

其処にわざわざ複雑な意味を作るのは

君達の方だって事を忘れないで欲しい。


丘が在れば登りなよ。

風が吹けば感じなよ。

花が咲けば眺めなよ。


たった其れだけで良かったはずなのに

どうしてこうも複雑になっちゃったのかな。

其処で君達は何時も、屋上に行き着くんだ。


あそこからは全てが見渡せるからな。

君達が住んでる世界なんてちっぽけだろ。

屋上は少しの間、全てを開放してくれる。


だけれど忘れないでくれ。

ちっぽけに見えるけれど、実はちっぽけじゃないんだ。

人が小さく見えるよな。

其れは生きてるんだぜ。


空と海と地面で構築されただけの世界に

線引きをして保有しちまったのは君達の方だ。

保有する為に規則を産んじまったのも君達の方だ。

規則に上手に従えなくて死んじまったのは誰のせいだ。

なぁ、誰のせいだよ。



ヘッド・フォンの中で PEARL JAM がエンドレス・リピートした。

少女が好きだった ten の二曲目は何だったか。

そうだ、EVEN FLOW だ。



長いマフラーを冷たい風になびかせて

少女は一直線に延びた停止線を越えた。

太陽は西に傾き始めた頃で

町は相変わらず灰色だった。


大した理由なんか無かった。



理不尽に奪われたままの何かや

理不尽に囚われたままの何かが

少女にササヤイタだけだ。


お前は飛べる。

お前は自由に飛べる。

長いマフラーを使って

お前は自由に飛べる。


だから少女は屋上に立った。

そして願ったのさ。

開放。

解放。

介抱。



瞬間、少女は手を伸ばして微笑んだ。


そうして


実にゆっくりと


実にゆっくりと


空中に、身体を預けた。



少女は飛んだ。


少女は飛んだ。


少女は飛んだ?


否、飛べなかった。


其処で僕が声をかけたからだ。



「まったくやめてもらいたいね。

 アンタを飛ばせる訳にはいかないね。

 だってアンタは空なんか飛べないんだもの。


 例えば僕のように空を自由に飛べる輩には

 此処から自由に飛んでも良い自由が在る。

 だけれどアンタは空を飛べないんだもの。

 まったくやめてもらいたいね」



あの時の少女の顔と言ったら。

今、思い返しても笑いがこみ上げてくる。

だって少女の目はじっと僕を見て動かなかった。



「アンタ、人間だろ。

 頭が良い生物だと思ってたのだけれどね。

 まさか此処から飛ぼうとするなんて呆れるよ。


 世界は何で構築されてるか知ってるかい。

 空と海と地面だ。

 人間は地面で暮らす生物だぜ。

 種を撒き、地を耕し、肉を狩り、命を食う生物だ。

 地面を歩く生物だ。


 与えられた生物としての役割を

 与えられた場所でまっとうしてくれなきゃ困るね。

 其れともまさか人間は、空も、海も、地面も

 全て自分のモノだとでも勘違いしてるのかね?」



まったくこれだから人間には困る。

例えば空は僕等に与えられた領分だ。

其処で僕等は生命の役割をまっとうする。

ならば人間だって、地面でそうするべきだろう。

其れだけの事なんだ。



「世の中はもっと簡単に出来てる。

 わざわざ複雑にしてるのはアンタ達の方だ。

 どうかそれを忘れないで欲しいね。


 僕が何を言いたいかって?

 生きるんだよ。

 アンタは生きるんだ。

 勝手に飛ぼうとするなよ。


 オイ、何て顔してるんだよ。

 オイ、聴こえてるか。

 オイ、少女よ。


 オーケー、何度だって言ってやるぜ」



僕は大きく息を吸い込んだ。



「生きれ!

 地面で生きて、地面で死ね!

 トラウマだ?虚無だ?焦燥だ? 

 よく解った。


 アンタは生きるんだよ!

 生きてから死ね!」


嗚呼、こんな事は言うべき事ではないかね。

だけれど仕方ないんだぜ。

だって僕は言わなければいけないのだから。


「アンタを傷付けた奴等はくそったれだぜ。

 くそったれすぎてどうしようも無いよな。

 どうしようも無いから死ぬのかね。


 どうか殴ってから死んでくれよ。

 どうか笑ってから死んでくれよ。

 じゃないとアンタの命が可哀想じゃないか」


少女は僕を見たまま動かなかった。

其れから少しの間、足が震えたり、手が震えたりして居たけれど

其れは極めて正常な反応なのだから、特に何の問題も無かった。


曲にして約一曲分くらいの時間だったかな。

ヘッド・フォンから漏れる音楽は

確か ten の三曲目に入ろうとして居たよ。

そうだ、ALIVE だ。


少女はヘッド・フォンを耳に当てた。

静かに、其の曲を聴いた。

屋上の風は相変わらず冷たかったけれど

きっと先程までよりは、ずっとずっと優しかった。


其れから少女は身をひるがえし

屋上を後にした。

最期に僕の方をチラリと見たのは

少しだけ無理をして

僕に微笑む為だったんじゃないか。

嗚呼、良い子だ。



エンドレス・リピート。



少女は飛ぶだろう。

何時の日か、飛ぶだろう。

だけれど少女が飛ぶのだとしたら

屋上の上からなんかじゃ無い。


固くて冷たい地面の上からだ。

其処から飛ばなきゃ意味は無いのさ。

だって其処がアンタ達の居場所なんだから。


少女が屋上の扉を閉じるのを見届けると

僕も大きく羽ばたいて、屋上から飛んだ。

僕?

僕の名はカラスだ。


空から屋上が見えた。

全てちっぽけだ。

全てちっぽけだ。

笑っちまう。

何もかもちっぽけなんだ。

だけれど、其の中で、命は生きてる。


アスファルトの上を歩く少女が見えた。

少女の背中は少しずつ遠く離れて行く。

僕は少女に向かって、笑って、叫んだ。


カァ!

カァ!

カァ!


カァ!

カァ!

カァ!



大きく羽ばたいて、ほら、ジャンプ!



そして少女は、空を、飛んだ。



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