私は屋上に立った。

屋上の風は冷たく、太陽は西に傾いて居た。

一直線に延びた停止線は、何処までも続くように見えた。


耳元のヘッド・フォンからは

PEARL JAM の音が漏れて居るけれど

現在、其れはあまり関係が無かった。


私に不満や不安は、特に存在しなかった。

只、首に巻かれてるマフラーが長すぎた。

何時の頃からか巻かれた紺色のマフラーだ。

只、其れが長すぎたのだ。


要するに、漠然とした虚無と焦燥に関して。

私は何一つ望んでなど居なかったのだ。

マーブル・チョコレイトが大好きだった。

私は何一つ望んでなど居なかったのだ。

ブラック・チェリーの飴玉が好きだった。


ところが私は簡単に破壊された。

理不尽で不平等な事情に巻き込まれたら?

理不尽で不平等な事情に巻き込まれるだけだろう。

当然ね。

漠然とした虚無と焦燥は、そうして生まれる。


そして私は屋上に立った。

屋上に立ちたいと望んだ訳ではないし

屋上に立ちなさいと言われた訳でもないが

只、私は屋上に立った。


其の意味をよく覚えておいて欲しい。

私には屋上に立つしか方法が無かったのよ。

屋上に立たずには居られぬから、そうしたのよ。


ヘッド・フォンの中で PEARL JAM がエンドレス・リピートした。

私が好きだった ten の一曲目は何だったか。

そうだ、ONCE だ。


マフラーが長すぎるので、私は苛立った。

そして次にこう思った。

このマフラーは何の為に在るのか。

私は空を飛びたいと思っただけだ。


だからもう一度だけ言うけれど

私に不満や不安は、特に存在しなかった。

只、首に巻かれてるマフラーが長すぎた。

何時の頃からか巻かれた紺色のマフラーだ。

只、其れが長すぎたのだ。


其れが私の、理由だったのよ。





#02 ― GOD save the DEVIL. ―

 『反転する地上』




屋上からは全てが見渡せる気がする。

目で観えるモノを全て信じてはいけない。

耳で聴けるモノを全て信じてはいけない。

全ての真実と虚偽は背中合わせだ。


世界は複雑だ。

全ては大人が線引きして居る。

此処から此処までは誰かの場所だ。

其処から其処までは誰かの場所だ。

望むとも、望まざるとも、そうなのだ。


国家を選択できない。

言語を選択できない。

両親を選択できない。

友人を選択できない。

生死を選択できない。

精子を選択できない。

嗚呼、長いマフラーが邪魔だな。



私の本当の居場所は、何処なのかを知りたい。



私には両親と呼べる存在が無い。

母親は事故か病気で死んで

父親は他の異性と結婚した。

確かそんな理由だったはずだ。

其れで私は祖母に育てられた。


良く言えば引き取られた。

悪く言えば、捨てられた。

長いマフラーは、母親の忘れ形見だ。


祖母は私に優しい。

虐待も冷遇もされない。

祖母は私に優しい。

何故かシチューを作るのが上手だ。


毎日は楽しい。

学校は楽しい。

生活は楽しい。

与えられた場所で快適に過ごして居る。

だけれど彼処は、私の居場所じゃない気がする。



屋上からは全てが見渡せる気がする。



私は簡単に破壊された。

理不尽で不平等な事情に巻き込まれたら?

理不尽で不平等な事情に巻き込まれるだけだろう。

当然ね。

漠然とした虚無と焦燥は、そうして生まれる。

規則に上手に従えなくて死んでしまうのは誰のせいかな。

ねぇ、誰のせいなの。



ヘッド・フォンの中で PEARL JAM がエンドレス・リピートした。

私が好きだった ten の二曲目は何だったか。

そうだ、EVEN FLOW だ。



長いマフラーを冷たい風になびかせて

私は一直線に延びた停止線を越えた。

太陽は西に傾き始めた頃で

町は相変わらず灰色だった。


大した理由なんか無かった。



理不尽に奪われたままの何かや

理不尽に囚われたままの何かが

私にササヤイタだけだ。


お前は飛べる。

お前は自由に飛べる。

長いマフラーを使って

お前は自由に飛べる。


だから私は屋上に立った。

そして願ったのよ。

開放。

解放。

介抱。



瞬間、私は手を伸ばして微笑んだ。


そうして


実にゆっくりと


実にゆっくりと


空中に、身体を預けた。



私は飛んだ。


私は飛んだ。


私は飛んだ?


否、飛べなかった。


其処で大きな音がしたからだ。



「カア!カア!カア!」



私は後を振り向いた。

黒い鳥が叫んで居た。

カラスだ。


「カア!カア!カア!」


驚いた。

カラスは羽を大きく広げて、何かを叫んで居る。

私はじっとカラスを見たまま、動けなくなった。


「カア!カア!カア!カア!カア!カア!

 カア!カア!カア!カア!カア!カア!」


カラスは羽を大きく、大きく、広げて叫んだ。

目で観えるモノを全て信じてはいけない。

耳で聴けるモノを全て信じてはいけない。

全ての真実と虚偽は背中合わせだ。



世界を単純にする方法。



私は足元を見た。

人や車が小さく見える。

冷たい風が吹いて居る。

太陽は西に傾いて居る。

一直線に伸びた停止線が風に揺れる。


「カア!カア!カア!カア!カア!カア!

 カア!カア!カア!カア!カア!カア!」


私は足元を見た。

此処から私は落ちるだろう。

屋上から地面まで

只、一直線に落ちるだろう。


打ち付けられて死ぬだろう。

打ち付けられて死ぬだろう。

打ち付けられて死ぬだろう。

其れはとても怖い事だ。


足が震えた。

手が震えた。


私の長いマフラーが風に揺れて

私の髪をくすぐった。


私はヘッド・フォンを耳に当てた。

静かに、其の曲を聴いた。

屋上の風は相変わらず冷たかったけれど

きっと先程までよりは、ずっとずっと優しかった。


其れは ten の三曲目だった。

そうだ、ALIVE だ。


其れから私は身をひるがえし

屋上を後にした。

扉を閉じるほんの少しの瞬間に

私は先程のカラスを見た。

笑った。



世界は複雑か?



階段を下りながら

私は制服のポケットの中から

マーブル・チョコレイトを取り出して

其れを食べた。


外へ出ると夕日が眩しかった。

どうしてだろう。

先程と変わらないはずなのに。


私は歩いた。

遠く、上の方から

遠く、私の後から

カラスの声が聴こえた。

擦れ違う人達は屋上を見上げた。

私は笑った。


カラスは屋上には居ない。

もう、私のすぐ傍。

そう、私のすぐ上。

ほら、其処!


オレンジ色の空に

カラスが大きく羽ばたいて居た。


私の少しだけ遠くで

カメラを首からぶら下げた女性が

カラスを見上げてシャッターを切った。



カシャ!



其れを見て私は笑った。

其れから私もカラスを見上げた。

其れだけでもう、世界は単純だ。



エンドレス・リピート。



ヘッド・フォンの中で PEARL JAM がエンドレス・リピートした。

私が好きだった ten の四曲目は何だったか。

そうだ、WHY GO だ。


驚くほどの単純な世界。


さて、私の足で、何処へ行こうか。



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