シャッター・チャンスは訪れる。

ある日、突然訪れる。

何気ない日常の中で訪れる。

味気ない日常の中で訪れる。


シャッター・チャンスは訪れる。

其れが幸福でも、不幸でも、突然訪れる。

瞬間はすぐに去り行き、跡には何も残らない。

私達は貪るように、其の瞬間を集めるしかない。



「何ひとつ見逃すな」



名も無き者の声が聴こえる。

私達は必死で其れを集める。


二度とは戻らぬ瞬間を

忘れずに

忘れられずに

忘れないように

思い出すように。


嗚呼、何ひとつ見逃しはしないから

沈黙と保存を約束してはくれないか。

一直線に伸びた停止線の前に立ち

本日も私達はカメラを手にする。



シャッター・チャンスは訪れる。



何度でも、訪れる。





#03 ―leica catch a sunlight.―

 『光と影』






停止線の前に立ち、女はレンズを覗いた。

フレイムの中央に、錆びた自転車。

其れから壊れた市営住宅だとか。

其れから倒れた道路標識だとか。


女は大きな鞄を肩に背負って

沢山の風景を写真に収めたが

女が収める風景のほとんどは

既に死んだ風景だった。


活き活きとした、花だとか

活き活きとした、虫だとか

活き活きとした、空だとか

活き活きとした、海だとか

時に目に映る其れ等に

女は女自身を重ねたが

其れ等が女を救う事は無かった。


女は止まったままの風景を愛した。

そうする事で訪れるで在ろう

穏やかな沈黙や保存を

女は望んだ。



「全てを撮り尽くすのよ。

 目を背けてる暇は無いの。


 嗚呼、空は青くて

 森は綺麗だったわ。

 今は土砂と死体の山よ。


 全てを撮り尽くすのよ。

 目を背けてる暇は無いの。


 瞬きひとつしてる間に

 辺りは残骸に満ちてる。

 此処はそういう場所よ」



十七才の誕生日に

女は一台のカメラを手に入れた。


実に古臭いカメラだった。

気軽に持ち歩いて写真を撮る事よりも

ガラス・ケースに飾る事を目的としたような

実に古臭いカメラだった。


女は年上の男と付き合って居た。

付き合って居たと言っても

今となってはよく解らない。


男は肯定もしなかった。

男は否定もしなかった。

只、女は男の家に通った。


家庭や学校は

女の居場所にならなかった。

安定と変化の意味を教えてくれないか。


家庭や学校に何かを求めて居たけれど

女は何を求めるべきなのか解らなかった。

家庭や学校は何かを求められて居たけれど

女に何を与えるべきなのか解らなかった。


だから女は

肯定も否定もせずに

只、其処に居る男に

安心を感じた。



十七才の誕生日に

女は一台のカメラを手に入れた。



男が与えたカメラだ。

男は女に一台のカメラを与えた。

女にカメラを与える瞬間

男は言った。


其の日の言葉を

女は忘れられずに居る。

男は言った。



「君は君のカメラで

 君の望んだ風景を撮りなさい。


 君は君のカメラで

 君の選んだ風景を撮りなさい。


 君は君自身のカメラを持って

 君の好きな場所へ行きなさい。


 君の全ては自由だ」



意味はよく解らなかった。

古臭いカメラが自分を変えるとも思わなかった。

よく解らないから女は泣いた。


嬉しいのか

悲しいのか

其れもよく解らなかった。




(一直線に延びた停止線は、何処までも続くように見える。)




翌日、男の家に行くと、男は死んで居た。

女は動かぬ男を眺めた。

眺めた。


「何ひとつ見逃すな」


男が与えたカメラを手にして

女が最初に写した風景は何だったか。

目の前に存在する、二度と動かぬ男の姿だった。


女は写した。

女は写した。

女は写した。


影。

影。

影。



「もしも私の愛しい貴方が

 私の前で吹き飛ぶならば

 私が全てを残さず写そう。


 腕を。

 脚を。

 臓を。

 腸を。

 肉を。

 血を。

 生を。

 死を。


 粉々になった貴方の欠片を

 散々になった貴方の欠片を

 拾い集めて写し尽くすのよ。


 嘆いてる暇など無いわ。

 喘いでる暇など無いわ。


 貴方の身体が朽ち果てて

 やがて砂となり養分となり

 やがて此処にも花が咲くわ。


 だけれど

 其の時に

 其の花を

 どれだけ私が眺めても

 感慨に浸る事くらいしか出来ないのよ。


 嗚呼、其れでも写しましょう。


 心配しないで。

 焼き付けておくわ。

 残酷な姿を脳裏に。

 何も見逃せないのよ。


 此の写真を撮れるのは、今しか無いわ」



シャッター・チャンスは訪れる。

ある日、突然訪れる。

何気ない日常の中で訪れる。

味気ない日常の中で訪れる。


シャッター・チャンスは訪れる。

其れが幸福でも、不幸でも、突然訪れる。

瞬間はすぐに去り行き、跡には何も残らない。

私達は貪るように、其の瞬間を集めるしかない。


女は何を写したか。

錆びた自転車だとか。

壊れた市営住宅だとか。

倒れた道路標識だとか。

其れ等の何を愛したか。


失われた何かを保存したかった。

其の瞬間のまま保存したかった。


女は止まったままの風景を愛した。

そうする事で訪れるで在ろう

穏やかな沈黙や保存を

女は望んだ。








(一直線に延びた停止線は、何処までも続くように見える。)








其の日、女は何時も通りに

古い電柱を写真に収めようとした。

カメラを手にして、フレイムに収める。

其処で、僕は声をかけた。


「なぁ、其れって楽しいのかい?」


女は上を見た。

其処に電線が在った。

当然だ、此処は電柱だもの。


「なぁ、僕はずっとアンタを見てたんだけど

 其れって楽しいのかい?

 其の変な箱でカシャカシャしてる事がだよ」


女は僕を見たまま動かなかった。

女のカメラも動かなかった。

だから僕は話した。



「アンタが何をしてるのかは大体わかった。

 アンタは過去を保存してるんだろ。

 アンタが安らげるようにさ。

 人間って皆、そういうモンなのかね?」


女は僕を見たまま動かなかった。

女のカメラも動かなかった。

そして僕は話した。



「アンタが僕に興味を持たない事くらい

 僕はよく知ってるんだ。


 アンタは僕を写そうとはしないだろう。

 アンタは止まっちまったモノにしか

 まるで興味を持たないんだもの。


 何時までも保存しておきたい。


 アンタはそう考えてるんじゃないの。

 だけれど勘違いされちゃ困るね。

 アンタが保存するのは勝手だが

 止めたままにされちゃ敵わない。


 アンタが保存した後も

 アンタの周囲は進んでるのさ。

 ちゃんと其れも写してくれないと

 まるで話にならない」



まったくこれだから人間には困る。

僕等には何かを保存する習慣は無いけれど

保存したくなる気持ちが解らない訳でも無い。

美味いモノを食えば、また食いたいと思う。


人間が生み出したモノは

保存する為のモノが多い。


冷蔵庫。

ヴィデオ・テイプ。

其れから、其の古臭いカメラ。


良い瞬間を、良い状態のままで。

人間はきっと、そう願う生き物なんだろう。

だけれど。



「僕の言ってる意味、わかるか。

 わからないなら、何度でも言おうか。


 なぁ、其れって楽しいのかい?


 僕が見てる限り、アンタは悲しそうだよ。

 アンタは悲しそうに、また保存するんだ。

 そんな写真、何の価値も無いね」



僕は大きく息を吸い込んだ。



「写せよ!

 今を写してみろよ!

 アンタが保存したがる汚い電柱の上で

 今、こうして叫んでる、僕の姿を写してみろよ!


 僕は生きてるんだぜ?

 其れでもアンタは死んだ風景ばかり愛するのかね?」



瞬間。

女は僕にカメラを向けた。

僕は素早く、大空へと羽ばたいた。



「ははっ。

 簡単に写されるモンかね。

 今は常に進んでるモンさ。

 アンタは懸命に追いかけないと。


 何を。

 今を。


 今は止まらない。

 死んだ風景とは違うのさ。

 そう簡単に写せる訳がないだろう」



女はカメラを向けたまま、動かなかった。

女は何も言わずに僕を見上げた。

僕は最期に、叫んだ。



「見付けてみろよ。

 見付けてみろよ。


 もしも何処かでアンタが僕を見付けたら

 其れはアンタにとっても、僕にとっても

 きっとハッピーな瞬間になるだろう。


 見付けてくれよ。

 見付けてくれよ。


 どうか僕を見付けてくれよ。

 どうか其の時は逃さずに、僕を写してくれよ」






















(シャッター・チャンスは訪れる。何度でも、訪れる。)






















其の日。

太陽は西に傾いて居た。

女は繁華街の交差点を歩いて居た。

首からカメラをぶら下げて、また歩いて居た。


何時でも写せるように。

何を。

今を。


首からカメラをぶら下げて

女は其の瞬間を探して居た。



瞬間は、突然訪れる。



女は歩いた。

遠く、上の方から

遠く、女の後から

カラスの声が聴こえた。

擦れ違う人達は屋上を見上げた。

女は笑った。


カラスは屋上には居ない。

もう、女のすぐ傍。

そう、女のすぐ上。

ほら、其処!


オレンジ色の空に

カラスが大きく羽ばたいて居た。


女の少しだけ遠くで

長いマフラーを首に巻いた少女が

カラスを見上げて小さく笑った。



カシャ!



女が空に向かってシャッターを切ると

少女は女を眺めて楽しそうに笑った。

其れから少女もカラスを見上げた。


其の笑顔がとても素敵だった。

少女はカラスを見上げた。

素敵な横顔だった。



シャッター・チャンスは訪れる。

突然、訪れる。

何の為にカメラを手にするのか。



女は少女をフレイムに収めた。


西陽は少女をオレンジ色に染めて居る。


女は静かに、シャッター・ボタンを、押した。




少女を写した。




今を、写した。



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