君の事を考えると

何故だか涙が出るんだけど

是は何の涙なんだろう。


嬉しい涙でも無い。

悲しい涙でも無い。


とても正直に言葉にするなら

ぽっかり穴が空いた侭みたい。


私は其処に一生懸命に

澄んだ水を流し込んで

湖を創ろうとしてるみたい。


やがて湖が出来たなら

君と並んで眺めてみたい。


是はきっと、そういう涙。





#04 ―marble chocolate will mix us.―

 『混沌とした喪失』




青信号が点滅した。

人々は少し足早になり

各々の理由に基づいて歩いた。


交差点の横断可能を表現する

決してセンスが良いとは言えない音楽が止まると

代わりに小汚い町営バスが、プァンと一回、クラクションを鳴らした。


少女は空を見上げた。

首に巻いた長いマフラーが揺れた。


ほとんど西日が沈みかけた空には

其れが発するオレンジ色以外には

もう他に何も見えない。


やがて訪れるであろう夜に逆らうように

少女は耳元の音楽のボリュームを上げた。

少女が好きだった ten は五曲目に入ろうとして居た。

そうだ、BLACK だ。


少女は制服のポケットの中から

マーブル・チョコレイトを取り出して

其れを食べようとした。



ところが、無い。



不意の困惑。

何処かで落としたのかもしれない。

少女はポケットの中を探ったが

少女の指先は何も掴まなかった。


突然の不安。

在るべきモノが其処に無いと気付いた時に

最初に訪れるのは、大抵このような感情だ。


其れが無くなってる事に

何となくだけれど気付く。


何時もの場所に無かった。

最初は不自由も無かった。

だから何となく

気付かないフリだけを続ける。


混沌とした喪失。

其れが生まれる瞬間

大抵、誰もが同じ行動をとる。


まずは普段と変わらない場所に手を伸ばす。

見慣れた場所に

見慣れた関係に

何時と同じように手を伸ばす。


ところが、無い。


別に焦りもしない。

無くなる訳がない。


机の下だとか

棚の上だとか

其れから

ポケットの中だとか

思い付く限りの場所を探す。


ところが、無い。


在る筈が無い。

在る訳が無い。

そんな場所に置いた記憶が無い。


布団をかぶる。

静かに迫り来る喪失感に

気付かないフリをしながら眠る。

忘れた頃に出てくると信じながら眠る。


最期に手にした記憶を掘り下げてみると

どうにも宛に成らぬ記憶しか浮かばない。


とにかく此処に置いた。

とにかく此処に置いたのだ。

此処に居れば戻るかもしれない。

ならば此処を離れる訳にはいかない。




嗚呼、もう動けない。




停滞と絶望は、そうして訪れる。

停滞と絶望の、深い泥濘に足を踏み入れた事に

身動きの取れなくなった身体と脳髄が、緩慢に気付いて往く。


其れが無くなってる事には

何となくだけれど気付いて居た。

本当は随分と前から気付いて居た。


何時もの場所に無かった。

最初は不自由も無かった。

他のモノで代用出来るとも思った。

だけれど。



嗚呼、其れは、無くなった。



認めてしまうと

其れが世界の何よりも素晴らしく

素敵なモノだったように思えて仕方が無い。


残った記憶を掘り下げてみれば

やはり宛に成らぬ記憶ばかりだ。


其れを初めて見た時から

其れが欲しくて仕方無かった。

其れは並べられ飾られて居た。


普段なら見過ごしてしまいそうな

沢山の他の其れ等の中に紛れて

奥の隅に並べられ飾られて居た。


其れは本来

あのような場所に在るべきでは無く

あのような場所に残るべきでは無く

其れを見て手に入れようとしない方が

可笑しいのだとさえ思うようになった。


ところが、無い。


其れを無くさぬように

肌身離さず持ち歩いたとしても

失う時は何時だって一瞬なのだ。


当たり前の場所に置いたのに

当たり前の場所には何も無い。


其れが無くなって困るのは

あくまでも此方の都合に過ぎない。

其れにしてみれば

自然の成り行きなのかもしれない。


其れに対して

永遠に変化しない何かを望んだりするならば

其れは此方の期待と我儘に過ぎないのかもしれない。


只、其れは、存在する為に、存在する。

只、其れは、存在する為に、存在した。


自分自身に問い詰めるのは

何時だって全てが終わってからだ。


其れじゃないならば価値は無い。

其れじゃないならば意味は無い。

もしも何処かで同じような其れを見付けても

もう其れは、其れでは無い。


だけれど。


常に襲いかかる現在。

止まる事も出来ないのならば

止める事も出来ないのだから

本能と細胞が叫んでる。

止まるな。



マーブル・チョコレイト。



誰に何を期待してる。

誰の為に安心してる。


其れから何を貰った。

其れから何を奪った。


マーブル模様の意味を理解するんだ。


何処に落ちてるだろうか。

誰かに拾われただろうか。

拾われたとしたらどうだろう。

大切にされてるだろうか。


そんな事を考えながら

眠り

起き

歯を磨き

服を着て

家を出て

空を見上げる。


ところが、其れは、フとした瞬間に。








「はい、コレ」










突然。

少女の目の前に、白い手が差し出された。

白い手の中には、少女が失くしたマーブル・チョコレイト。


思わず、手の主を見る。

もう片方の手に、レトロなカメラ。


先程、交差点で見かけた

カメラを首からぶら下げた女性だった。

女はマーブル・チョコレイトを、少女に手渡した。



「落としたでしょ?」



少女の手に、マーブル・チョコレイト。

女の手は白くて細くて、少しだけ冷たくて、可愛らしかった。

少女は笑った。



「どうもありがとう」



今は何曲目だっけ。

少女の好きな ten の何曲目だったっけ。

エンドレス・リピートはまだ続いて居たけれど

今はどうでも良かった。


「カラス、観てたでしょ?」


カメラを空に向けながら、女は笑って言った。


「一枚、撮らせて貰っても良いかな?」


女はカメラを、少女に向ける。


今は何曲目だっけ。

少女の好きな ten の何曲目だったっけ。

エンドレス・リピートはまだ続いて居たけれど

今はどうでも良かった。


少女は頷きながら笑うと

ヘッド・フォンを外して音楽を止めた。

ヘッド・フォンの中の、終わらない音楽を、止めた。


代わりに小汚い町営バスが

プァンと一回、クラクションを鳴らした。



inserted by FC2 system