誰もが驚くような音を生めば

波紋は拡がるだろうか。

視界は拡がるだろうか。


年寄りウサギの台詞はこうだ。

誰も何も変わらない。

場所が変わるだけだ。

視点が変わるだけだ。


誰かを愛する事も

誰かを憎しむ事も

または無関心になる事も

まるで同じ土台の上に在るし

多くの者が其れを変化と呼ぶ。


何ひとつ変わっちゃ居ないよ。

だけれど随分と変わってしまった。


君の生むべく強烈な音は

波紋と視界を拡げながら

やがて海に潜るだろうか。

やがて空に昇るだろうか。


僕の生むべく強烈な音は

相対する変化した全てと

回転する喪失した全てと

恐らくは

其れ等の中に存在するであろう

失われた侭の血と魂に捧げよう。




嗚呼、歌が聴こえるな。





#06 ―baby did not have to die.―

 『歌那香@』




壁際にギターケースをガタリと置くと

胸のポケットから煙草を取り出して

其れから女は着替えを始めた。


隣を見ると同じ仕事場の女が

不器用そうに携帯電話を弄っている。

彼女は早番だから休憩中なのだろう。


煙草に火を点けながら様子を眺める。

煙を吐き出しながら、ジーンズを脱ぐ。


休憩室の壁には、宣伝用に配布されたポスターや

ライヴ告知のフライヤーが、乱雑に貼り付けられている。

恐らくは従業員の誰かが持ってきた

アメリカ映画のキャラクター・フィギュアなども置いてあり

おおよそ休憩する為の場所とは思えない。


繁華街の真ん中に在る

大きな建物の八階。

CDショップが女の仕事場だった。


女はキャラクター・フィギュアを手に取ると

大きな瞳をした愛嬌のある顔に

煙草の煙を吹きかけて

楽しそうに笑った。

其れから中指で、其の頭を撫でる。


制服に着替え終わると

煙草の火を消しながら

また、隣を見る。


隣では先程から携帯電話を見詰めて

何やらカタカタと打っている。

不器用な仕草に、やはり愛嬌がある。


煙草の煙を吹きかけてやろうと思ったが

既に火を消してしまったので

女は少しだけ後悔した。


女は彼女を莉子と呼んでいる。

莉子は女よりも少し年上だが

まだ幼さを残した容姿だとか

落ち着いた人柄に思わせて

妙に子供染みた部分だとか

(例えばケーキ・バイキングの話で二時間も熱く語られたりだとか)

要するに、年上なのに年下のような雰囲気だとかに

女なりの親しみを感じていた。



「莉子さん、まだメール打ってるの?」



莉子は、まだ携帯を弄っている。


「最近までポケベルだったからね。

 まだ馴れないの」


莉子はそう言いながら笑うと

真新しい携帯電話を机の上に置いて

制服の襟元を直して、椅子から立ち上がった。


「それよりカナちゃん、今日は新作が沢山入ってるよ」


女の名前。

女は自分の名前が好きではなかった。

嫌いだった。


他人から名前を呼ばれる度に

自分の中に汚らわしい血が流れている事を

再確認させられるような気がして嫌いだった。



「莉子さん、コレ並べて良いの?」



大きなダンボールを持ち上げながら

女は莉子に声をかけた。


「うん、其れはもう大丈夫だよ」


莉子が答えたので

女はダンボールを運んだ。

店内には流行の音楽が流れて居る。


どうして自分の中に

あの男と同じ血が流れているのか。

どうしても理解したくないのだけれど

どうしても理解しなければならなかった。


(あの男の精子から、私は生まれたのだ。)


体中の血を全て抜き取ってしまいたくなった。

抜き取ってしまいたくなったから、実際にそうした。


「そうだ、カナちゃん、それは平積みしておいて」

「コレ?」

「ううん、そっちのダンボール」


莉子が何かをを指そうとすると

レジ・カウンターに客が来た。

片隅に小さなダンボール。



十四歳の夏の日。



十四歳の夏の日は

猛暑が続いていた気がする。

毎日どうでも良いくらいに暑くて

毎日どうでも良いくらいに熱くて

血が邪魔だと思った。


十四歳の夏の日に

女は片腕を切り刻んだ。


洗面台を流れていく血を眺めたら

少しだけ涼しくなれた気がしたけれど

体中の血を全て抜き取る事は出来なかった。


十四歳の夏の夜は、常に騒がしかった。

国道から響く暴音が騒がしかった。

居間から響く怒声が騒がしかった。


静かになる事を望んで

頭から布団を被ったけれど

騒がしさが止む事など無かった。


(私の代わりに叫んで。私の代わりに壊して。)


ヘッド・フォンを耳にあてた。

聞きたくもない騒がしい音よりも

もっともっと大音量のロックを流してみた。


ラジオから流れる、名前も知らないロックを聴いた。

目を閉じて、耳を澄ませて、流れるロックを聴いた。

女はロックを聴いて眠るようになった。



「あ、カッコイイ」



小さなダンボールを開けて

女は小さく呟いた。


小さなダンボールの中には

販促用のポスターだとかに紛れて

沢山のCDが重ねられて居る。

莉子が一枚を、手に取って眺めた。


欠落した前歯。

充血した右目。

ビリヤードの5番。


其れは PEARL JAM の新作だった。

「本当だ、カッコイイね」

莉子は笑うと、其れをダンボールに戻した。


欲しいな。

店頭に平積みしながら

一枚を再び手に取った。


女はロックを聴きながら眠る。

女はロックを聴きながら眠る。



(私の代わりに叫んで。私の代わりに壊して。)



女は自分の名前が好きではなかった。

嫌いだった。


十七歳の冬の日に

女はギターを手に入れて

路上で歌を唄うようになった。

自分で歌を唄うようになった。

そして自分に名前を付けた。



歌那香。



歌那香は自分に名前を付けて

自分でギターを弾いた瞬間に

初めて生きている気分になれた。


六弦から一弦まで

細い糸を指で弾いた瞬間に

初めて自分が生きている気分になれた。


もしも全ての血を抜き取る事が出来ないならば

嗚呼、全てを沸騰させたい。

嗚呼、全てを気化させたい。


内側から叩き付ける衝動を

嗚呼、早く歌にしなくちゃ。



(誰かの代わりに叫んで。誰かの代わりに壊して。)



店頭に PEARL JAM の新作を並べ終えると

歌那香は満足そうに、其れを眺めた。

嗚呼、そろそろ一服したい。



「莉子さん、並べたよ」



莉子に声をかけると

歌那香は店の外を眺めた。


階段の踊り場から

西日が差している。

もう夕方だ。


店が終わったら

今日も路上で唄おう。

今日はどんな歌を唄おうか。



「莉子さん、そろそろ時間だよ」



発注書を整理している莉子に声をかけると

莉子はボールペンを胸のポケットに収めて

小さく微笑んだ。


「じゃあ、カナちゃん、あとお願いするね」


帰り際に、莉子が PEARL JAM の新作を買った。

歌那香も、買って帰ろうと思った。

きっと、よく眠れるから。



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