辛かった魂が

繋がった悲しいかな。


繋がった魂が

辛かった愛しいから。


得る事。

失う事。


天秤のような両手を見比べて

嘆くような真似は止めてね。

嘯くような真似は止めてね。


私の理由は私の側に在る。

君の理由は君の側に在る。


秘めた嘘や矛盾を抱えながら

気付かぬ場所に幾等でも在る。


理由なんて内緒の侭で居よう。

せっかくの私達が色褪せちゃうから。


辛かった魂が

繋がった悲しいかな。


繋がった魂が

辛かった愛しいから。





#09 ―baby did not have to die.―

 『歌那香C』




歌那香は唄った。

少女は、ヘッド・フォンを外した。

其れから静かに腰をおろすと

目を閉じて、歌那香の歌声を聴いた。


其れは三分ちょっとの

本当に短い時間だったけれど。


風が吹いたり

青信号が点滅したり

遠くでクラクションが響いたり

したけれど。


とても、静かな時間だった。


唄い終えると

歌那香は手を休めた。

其れから少女を見た。



「こんばんは」



歌那香が声をかけると

少女は少し驚いた顔をした。

其れから首だけを動かして返事をした。


「こんな時間に制服で歩いてると捕まっちゃうよ」


歌那香が笑いながら言うと

少女も笑った。


酒に酔った中年男性達が

賑やかに騒いで居る声が

遠くから聞こえた。

交差点をタクシーが右折していくのが見えた。


歌那香は座り込んで

また歌を唄った。

少女も座り込んで

また歌を聴いた。


綺麗な歌を唄いたいな。

あれは何て曲だったのだろう。


十四歳の夏の夜。

布団の中で聴いた

名前も知らない曲。


思い出そうとする

という行為とは

少し違う気がする。

初めから知らない。


もしも何かに救われたなら。

救われたなら。


其の時は

どんな顔をしたら良いのだろう。

何だか今もよく解らないままだ。


「さっき、あの店に居たよね?」


唄い終えると

歌那香は少女に言った。

歌那香の視線の先には

ハンバーガー・ショップが見える。


やはり少女は少し驚いた顔をした。

其れから首だけを動かして返事をした。


何となく、歌那香は笑った。

少女も笑った。


「それ、何を聴いてるの?」


少女のヘッド・フォンを指さして

歌那香は言った。


少女は少し不安そうな顔をしたが

襟元からヘッド・フォンを外すと

其れを歌那香に手渡した。

耳に当てる。


「あ、PEARL JAM じゃん」


少女は首だけを動かして、頷く。


「良いね、好きだよ、私」


歌那香が言うと

少女は少しだけ

目を大きくして言った。


「ほんと? ほんとにそう思う?」


歌那香はヘッド・フォンを耳に当てながら

少女の言葉に頷く。


「うん、ほんと。 ほんとにそう思う」


歌那香が言うと

少女は歌那香に近付き

其れから一気に言った。



「あのね、私はね

 すごく良い曲だと思ったんだ。

 だけどね、周りの子達はね、誰も知らないんだ。

 だからね、一人で聴く事にしたの。

 だってね、私はね、すごく良い曲だと思ったから」



少女は言い終えると

歌那香をじっと見詰めた。

歌那香は少しだけ笑って

同じように少女を見詰めて言った。


「うん、私もすごく良い曲だと思うよ」


二人の背後を

酔った男達が通り過ぎて往った。

興味本位だとか、冷やかし半分で

何かを話しかけたかもしれないが

よく聞こえなかった。



「CD屋さんでね、偶然見かけたの。

 私はね、よく知らなかったんだけど

 CDジャケットがね、すごく素敵だったんだ」


「手を上に伸ばしてる奴だよね」


「うん、そうなの!」


「だから買ったの?」


「だから買ったの!」



歌那香は何だか

本当に何だか、愉快な気分なって

本当に何だか、思わず笑ってしまった。


其れからギターを肩から下ろし

煙草を取り出して、火を点けた。


「良い買い物だったね」


歌那香はヘッド・フォンを外すと

少女に手渡しながら言った。


「うん、ちょっと得をした」


少女はヘッド・フォンを受け取ると

少しだけ笑いながら言った。

歌那香も笑った。

そうね、ちょっと得をしてる。


「さっき、あの店に居たよね?」


先程と同じ質問を

歌那香は繰り返した。


少女は先程と同じように

首だけを動かして返事をした。

其れから、こう付け加えた。



「一緒に居た子はね、今日知り合ったの。

 落し物をね、拾ってくれたの。

 日曜日にね、また会う約束をしたんだ」


「へぇ、何を落としたの?」


「えとね、これ」



少女は制服のポケットに手を入れると

先程、落として、拾われた、其れを取り出した。


「マーブル・チョコ?」


歌那香が少しだけ呆れたように言うと

少女は笑いながら答えた。


「食べる?」


思わず歌那香は

大きな瞳をした愛嬌のある少女に

煙草の煙を吹きかけた。


「ああ! ごめん! つい!」


少女が咳き込むと

歌那香は楽しそうに笑った。

其れから中指で、其の頭を撫でる。


もしも何かに救われたなら。

救われたなら。


其の時は

どんな顔をしたら良いのだろう。

何だか今もよく解らないままだ。



「ねぇ、さっきのね、あの店ね

 何でアップル・パイをくれるんだろ?」


「秋だからじゃない」


「秋だからか」



もしも何かに救われたなら。

救われたなら。


どうでも良い会話がしたいな。

どうでも良いような大切な会話がしたいんだ。

どうでも良いままで、心の中に、何時までも残っているような。



「ねぇ、さっきのね、あの歌ね

 あれは何て曲?」


「さっきの曲?」


「うん、とてもね、ゆっくりな曲」



歌那香は口笛を吹いた。



「うん、それ」


「これは Lay Lady Lay という曲」


「誰の曲?」


「BOB DYLAN の曲」



歌那香はギターを手に取ると

再び、其の歌を唄った。


歌那香の歌声は細い糸のようだった。

細い糸を指ではじいたら

やはり其れは歌那香の歌声になった。


「また明日も唄ってる?」


少女は言った。


「そうね、次は日曜日かな」


歌那香は答えた。


「じゃあ、また日曜日に聴きに来る」


歌那香は笑った。

其れからフと思い出した。

ギターケースの脇に置いたままの

細長い袋を取り出すと、中に手を入れる。


「これ、な〜んだ?」


歌那香が取り出したモノを見ると

少女は思わず声を出した。


「あ、PEARL JAM だ!」


歌那香は笑いながら

其れを少女に差し出した。


「貸してあげる」


歌那香は手を差し出したが

少女は少し戸惑った顔をした。



「まだ聴いてないんでしょ?」


「うん、先に聴かせてあげる」


「悪いよ、そんなの」


「また日曜日に持ってきてよ」



ギターをケースに仕舞いながら

歌那香は少しだけ強引に

其れを少女の手に渡した。


其れから、また笑った。

少女も笑った。



「うん、また日曜日に持ってくる」



何かを得る度に

何かを失う必要は無い。

何かを失う度に

何かを得る必要も無い。


得るモノは、得るままで。

失うモノは、失うままで。


約束。

等価交換。

其れより大切なモノは。


別れ際。

少女は制服のポケットに手を入れて

マーブル・チョコを取り出すと、歌那香に言った。


「食べる?」


やっぱり歌那香は

大きな瞳をした愛嬌のある少女に

煙草の煙を吹きかけた。


其れから、笑った。



inserted by FC2 system