■は行
春の日 -we are like the ignorant spore.-




其の頃の僕等にとって

全てを知る事も

全てを知らない事も

本当にどちらでも良い事だった。


全てを知る事は、同時に全てを知らない事だ。

全てを知らない事は、同時に全てを知る事だ。

其のような事実を僕等は、体験と知識として知った。

同時に僕等は、体験と知識として知らなかった、とも言える。


其の時期は

近しい友人達にとっては

ようやく二十二年間の学生生活が終わり

これから数十数年間の社会生活が始まり

ようやく其れ等に馴れた頃、というような時期だった。


同じように其の時期の僕は

別にどうでも良いような日々を過ごし

実にどうでも良くない日々を過ごして居た。


無知の知という言葉が在る。

昔の偉い人が使った言葉だ。

誰の言葉だったかなんて

期末テスト用の知識は今はどうでも良い。

まぁ、一応ソクラテスだ。


要するに

自分が或る真理に関して何も知らないと思ってる人間は

自分が或る真理に関して何でも知ってると思ってる人間よりも

結果的に素晴らしい人間だという言葉だ。


んな訳あるか、と思う。


僕が以前に読んだ教科書の記憶と

高校の哲学の教師の説話によれば

或る日、ソクラテスは他の哲学者と

真理に関しての問答対決となり

(このような事は当時のスコラでは日常茶飯事だったらしい)

真理に関して往々と語る相手の哲学者に対してソクラテスは

「私は真理に関して無知だ。だが其のような真理を知っている」

だとかなんとか、そんな感じの事を言ったらしい。


彼の回答には相手の哲学者も流石に舌を巻いて

聴衆は最大限の賛辞を送ったとか送らなかったとか。

もしも僕のこの記憶が違うとしたら

僕は教科書の出版社と哲学の教師を一週間以内に告訴します。


そして其の話を初めて耳にした時から

僕が思うにソクラテスは

ちょっとイイカッコしたかっただけではなかろうか。


真理に関して無知だと言い切る事は

あらゆる事を遮断し猜疑するという事だ。


例えるなら『1+1=2』という数式は真理である。

実に疑いようも無く真理なのだが

ソクラテス風に言えば

「私には解らない。だが解らない事を知っている」

と答えた方が賢い人間だという事になる。


しかし紛れも無く『1+1=2』だ。


其れは誰もが知っている単純な数式だから納得できる。

ならば一般人には絶対に解けないような難しい数式を持ち出し

「私には解らない。だが解らない事を知っている」

なんて言えば実にそれっぽく聞こえるが、言ってる事は同じだ。


『1+1=2』という単純な真理に関して

知っていると言い切れる人間を侮ってはいけない。

同じように、より難解な真理に関して

知っていると言い切れる人間を侮ってはいけない。


真理に関して無知だ、と言い切る事は

あらゆる事を遮断し、猜疑するという事だ

という発言に関しても、詳しく言っておかなければいけない。


例えば『1+1=2(より難解な数式でもかまわない)』という

或る真理に関して全てを知らないと言うのならば

其れは『1+1=2(より難解な数式でもかまわない)』という存在への

猜疑と否定から始めなくてはならないという事だ。


数式の設定、数字の認識、質量の有無、量子、原子、分子、陽子

又は其れ等の反物質の存在。

要するに宇宙の存在から猜疑と否定をしなくてはならないという事だ。

現実で認識され得るあらゆる事象を一度遮断しなくてはならない。

是ではデカルトになってしまう。


そして其のような状況においては

無知で在る事さえ「知って」はいけない。

無知は、何処までも延々と、無知なのだ。


其れ等のような理由で

僕は其の話を初めて耳にした時から

僕が思うにソクラテスは

ちょっとイイカッコしたかっただけなのではなかろうか。


『1+1=2』

なんていう単純な数式を

『僕等は今、生きている』

という文章に置き換えてみれば良い。

無知の知なんて、実に薄っぺらい其の場しのぎの逃避だ。






春風が吹いた。






だけれどともかく

其の頃の僕等にとって

全てを知る事も

全てを知らない事も

本当にどちらでも良い事だった。


全てを知る事は、同時に全てを知らない事だ。

全てを知らない事は、同時に全てを知る事だ。

そういう事実を僕等は、体験と知識として知った。

同時に僕等は、体験と知識として知らなかった、とも言える。


良く晴れた春の日の公園で

「昨日、仕事を辞めてきたぜ」

と学生時代からの友人が、退屈そうに呟いた。


僕はなけなしの金でラッキーストライクを買った。

僕等は公園のベンチに並んで座り、何となく其れを吸った。



ハルノヒ。



ムチノチ。



其の時期は

近しい友人達にとっては

ようやく二十二年間の学生生活が終わり

これから数十数年間の社会生活が始まり

其れ等に

馴れ

飽き

辞める

というような時期だった。


同じように其の時期の僕は

別にどうでも良いような日々を過ごし

実にどうでも良くない日々を過ごして居た。



「僕は今、生きている」



そんな命題に関しては

まだ、無知でも知でも無かった。


タンポポが咲いてた。


煙草の煙が、プカリと、飛んだ。

inserted by FC2 system