■は行
降らない雪 前編




綺麗な声で君は歌って

退屈な日常を誤魔化して

僕は布団で背中を向けて

別に疲れても居なかった癖に。


君の切ない一言に

過剰に反応したり

簡単に無視したり

怒らせたり

泣かせたり

其の全てが許されると信じてた。

許されて当たり前だと思ってた。



綺麗な声で君は歌って

泣きたい日々を笑って誤魔化して

僕は自分のしたい事だけに夢中で

別にしたい事なんてしてなかった癖に。



ある日

君は背中を向けて

僕はもう歌は聴かせてくれないのだと悟った。



僕等の歌は

冬が大好きな僕等は

そろそろ雪が降るって頃の

あの独特の匂いがとても好きで

冷たい手を繋だまま空を見上げたっけ。


降らない雪を待ちわびたまま

降らない雪を待ちわびたまま

降らない雪を待ちわびたまま

そう

降らない雪を待ちわびたまま。










『降らない雪』 前編










「ウンコしたい」


「は?」


僕の突然の「ウンコしたい発言」を聞くと

カナカはあからさまに怪訝な顔をした。

怪訝な顔をされても困る。


「だからね、ウンコしたい」


「君ね」


カナカの眉間にシワが寄ったから僕は笑った。

カナカは怒ると、すぐに眉間にシワが寄るんだ。


「何?」


「何、じゃなくてね。

 君ね、女の子の前であまりそういう事、言わない」


「女の子」


「女の子」


僕が笑ったので、カナカは更に、眉間にシワを寄せた。


「じゃあ、何て言えば良いのさ」


「もっとほら、お花を摘みに行きたい、とか」


「だって花、咲いてないじゃん」


此処はカナカの部屋なのだから、花は咲いてない。

在るのは小さな花瓶に挿された、スノードロップだけだ。

真っ白な花。


「もう解ったから、行っておいで」


「何処に?」


「お花を摘みに」


僕は笑いながら立ち上がると

カナカの頭を、少しだけ撫でた。


カナカは何も言わずに雑誌を読んで

不意に少しだけ顔を上げると

僕の方を向いて憎らしそうに舌を出した。


僕は笑った。



僕とカナカの関係はよく解らないけれど

きっと、一般的にいうならば、それは恋人関係だった。


僕とカナカは趣味がよく似ていたし、話もよく合った。

同じ時間を共有する事が苦痛ではなかったし

むしろ快適だった。


気が付けば僕はカナカの部屋に通うようになり

気が付けば僕はカナカを好きになった。


順序がおかしい。


カナカの部屋に通うようになった理由が在った。

カナカの部屋に通うようになった理由は。





音色。





何処からかギターの音色が聴こえた。

カナカの奏でる音色だった。

カナカの奏でる音色は

柔らかく空気の上を浮いてる音色だ。

触れたらすぐに溶けてしまいそうだ。


カナカの歌声が聴こえた。

カナカの歌声は細い糸のようだ。

細い糸を指ではじいたら

カナカの歌声になるんだ。


僕はカナカが好きだった。

カナカの音色が好きだった。

カナカの歌声が好きだった。

カナカの存在が好きだった。



「良いね」


「お花を摘んできた直後の人に良いねって言われても」


「何て曲」


「教えない」


カナカはギターを置いた。

再び雑誌を読み始めた。

僕は煙草に火を点けた。


「もう終わり?」


「うん」


「せっかく聴いてたのに」


「雪が降らないんだもん」


「雪?」



僕等の町にはあまり雪が降らない。

正確に言うと、降らなくなってしまった。

昔は今くらいの季節には、降っていたのだけれど。


僕等は雪が好きだった。


雪を見るのが好きだった。

カナカの部屋の大きな窓から

雪を見るのが好きだった。


僕は言った。



「異常気象だよ」


「異常?」


「異常気象だよ」


「何が異常?」


「地球とか」


「地球?」


「自然とか、空気とか、汚れたから」


「汚れたら、雪は降らなくなるの?」


「多分ね」



それ以上、カナカは何も言わなかった。

その代わりに、また、ギターを弾いた。

カナカは英語の歌を唄ったから

何を言ってるのかは、よく解らなかった。


その音は、ほんの少しの間、僕を悲しくさせた。

カナカが今、何を感じているのか

僕にはよく解らなかった。

解らないのだけれど、カナカの小さな歌声は響いた。


これ以上の悲しい事なんて

世の中に、僕は無いと思う。

カナカは唄う事しかできなかったのだろうし

僕は何もせずに傍で聴く事しかできなかった。

こういう時、僕等はどうすれば良いんだろう。

明確な方法なんて、誰も教えてくれなかった。



「カナカ」



そう言うと僕は、カナカの手に触れた。

ギターが変な音を立てて、止まった。

それから、手を繋いで、指を絡ませた。


カナカは少しだけ怪訝な顔をしたけれど

僕は笑わなかった。

そして唇付をした。


首筋に唇付けると、カナカは指に力を入れた。

だから僕も、少しだけ指に力を入れた。

それから舌を這わせた。


首筋から、肩に。

肩から、鎖骨に。




「ギター」




カナカが小さな声で言った。

ギターが僕等を邪魔してた。

僕はギターのストラップを

ゆっくりと

ゆっくりと

カナカの細い肩から外した。

それからシャツのボタンを外した。


小さなボタン。

一個。

二個。

三個。

そこで僕はカナカの顔を見た。


眉間にシワの寄っていないカナカは可愛い。

眉間にシワが寄っていたって可愛いけれど

眉間にシワの寄っていないカナカは可愛い。

だからゆっくりと髪を撫でた。

するとカナカは変な顔をした。

だから僕は笑った。

僕が笑うと、やっぱりカナカは怪訝な顔をした。


「ほら、眉間」


するとカナカも笑った。

笑った後でこう言った。


「ところでさっきから何をしてるの?」


「服を脱がせてるの」


「なぜ?」


「なぜだろう」


何故なのかはよく解らないけれど

カナカの切ない歌を聴いてる内に

僕はカナカを抱き締めたくなったのだし

僕はカナカの服を脱がせたくなったのだ。

それ以上の理由なんてない。


しいて理由を挙げるのだとすれば

カナカがあんな切ない歌を唄うからだ。

カナカにあんな切ない歌を唄わせるからだ。


そうだな。


降らない雪のせいだ。



「なぜ?」


「雪が降らないから」



カナカは笑った。



「お花を摘みに行ったくせに」


「一緒にシャワー浴びようか」



カナカは下を向いて、一言だけ言った。



「ばか」



僕等は、笑った。








綺麗な声で君は歌って

退屈な日常を誤魔化して

綺麗な声で君は歌って

泣きたい日々を笑って誤魔化して


僕等の歌は

冬が大好きな僕等は

そろそろ雪が降るって頃の

あの独特の匂いがとても好きで

冷たい手を繋だまま空を見上げたっけ。



スノードロップだけが咲く部屋で。



降らない雪を待ちわびたまま

降らない雪を待ちわびたまま

降らない雪を待ちわびたまま

そう

降らない雪を待ちわびたまま。

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