■は行
降らない雪 後編




親愛なるカナカへ。


今宵は雪が降っているよ。

僕等が大好きだった雪だ。


冬が大好きな僕等は

そろそろ雪が降るって頃の

あの独特の匂いがとても好きで

冷たい手を繋だまま空を見上げたっけ。



僕等の歌は。



あの頃、僕はよく、こんな事を考えていた。

暗くて冷たい部屋で

互いを愛撫しながら

救い合い。

慰め合い。

とても小さな世界で

僕等だけ生きてるみたいだって。


体を触れ合うのは

鏡を見てるようだった。


似た者同士の僕等だったなら

壊れてしまうのも簡単だった。


肉体の価値を知りたいよ。

意識の価値を知りたいよ。


もっと君と繋がりたいと

そう考えたら

僕は君を抱けなくなった。


君なき生の始まり



君との性の終わり。



嗚呼、カナカ。



今宵は雪が降っているよ。










『降らない雪』 後編









僕等の最後の会話は

今でもよく覚えてる。


僕等の関係は、すでに壊滅的だった。

僕はカナカの家に入り浸るようになった。

カナカは町へ出て歌を唄うようになった。


僕等は似た者同士だったけれど

進むべき道はすでに歪んでいた。


僕等の最後の会話は何だったか。

僕等の最後の会話は壊滅的だったか。

僕は静かに奥深い記憶を掘り返した。

まず始めに扉を開くカナカが見えた。


カナカの頬は赤く高潮してる。

恐らくは外が寒かったからだ。

そこで僕は声を発する。



「どうして勝手に居なくなるかなぁ?

 残された人の気持ち考えた事ある?」



カナカはフラリと消えてフラリと戻る。

ギターケースを抱えて深夜2時に戻る。

今夜もそうだ。


似た者同士の僕等が壊れてしまうのは

本当にとても簡単な事だった。

些細な違いを認識すれば良い。

カナカは言った。



「居なくなる人の気持ち、考えた事ある?」



結局、僕等の言分なんて何時もこうだ。

相手の気持ちを察する事なんて出来ちゃない。

自分の気持ちを伝える事さえも出来ないのに。



「どうして居なくなるんだよ」


「別に説明する気は無いわね」


「言ってくれないと解らない」


「言わなくても解って欲しいけれどね

 別に其処まで望んでも居ないのよね」


「何それ」



スノードロップは鮮やかに咲いていた。

僕等は壊滅的だったけれど

壊滅すべき理由はよく解らなかった。

望んで壊滅して居るような錯覚さえ在った。



残す人の気持ち。

残される人の気持ち。

居なくなる人の気持ち。

居なくなられる人の気持ち。



「君、私に期待してるだけでしょう?」



僕が何を期待してるって言うんだ。

其れに期待する事はいけない事なのか。

勝手に消えて勝手に戻る君を責める事は

僕が君に期待してる所為だとでも言うのか。



「君、私を当たり前だと思いすぎよ」



うるさい。だまれ。

当たり前だと思う事の何が悪い。

世間じゃ皆、そうしてるんだぜ。

甘えて甘えられて

与えて与えられて

飯作って飯食って

唇付して愛撫して

其れが当たり前だと思ってる。



自立した関係?

独立した関係?

僕は全然満足出来ないね。



「私、君の何だっけ?」



何だよそれ。

何だろうな。

もうよく解らない。

何でこんな会話してるんだ。



「自分の都合の良いように理解しては

 相手を利用する真似しちゃ駄目よね」


「どういう意味さ」


「そういう意味よ」



当たり前。

結局は何が当たり前なんだ。

自己主張ばかり上手くなって

最期の切札は大概こんな台詞だろ。

君は空気のようだ。



「相手をしっかりと認める事よ」


「君も僕をしっかりと認めろよ」


「私は君をしっかりと認めてる」



するとカナカは鞄から

ドーナツを取り出して

僕に優しく投げた。



「どうぜお腹すいてたんでしょ。

 なのにご飯の用意もして無いから

 私が戻るまでイライラしてたんでしょ」



僕は何も言えなかった。



「ホント子供ね」



君は僕を見て少しだけ笑うと

扉を閉めて再び居なくなった。

僕は何も言えなかった。


腹が鳴った。

ドーナツを食べた。


カナカが閉めた扉の向こう側から

カナカが階段を下りる音が響いた。


少しずつ、遠く。

少しずつ、遠く。

少しずつ、遠く。


僕は何処へ行けば良いんだろう。

カナカ、僕を置いて行かないで。

カナカ、僕を置いて行かないで。

スノードロップは鮮やかに咲いている。


不意に携帯電話の着信音。


カナカ。



「もしもし?」


「外を見て」


「外?」


僕は窓を見た。



















雪。




















「雪だ」


「雪ね」


「雪だ」






冬が大好きな僕等は

そろそろ雪が降るって頃の

あの独特の匂いがとても好きで

カナカの部屋の窓はとても大きかった。


其処から僕は

カナカの声を聴きながら、雪を眺めた。

カナカの声を聴きながら、雪を眺めた。



「今、何処?」


「内緒」



そう言うと、カナカは笑った。



「見えてるわよ、君」


「見えてる?」


「うん、窓のところ」



カナカは実に楽しそうに笑った。

僕からはカナカが見えなかった。



「何処に居るの」


「内緒だってば」



そう言うとカナカは

受話器の向こうで何かを取り出した。

恐らくは、カナカの大切なギターだった。



カナカは唄った。



僕はカナカの部屋の大きな窓から

受話器越しに、カナカの歌を聴いた。

其れは僕等が大好きな、あの歌だった。


雪が降っていた。

嗚呼、雪が降っていたな。


僕はカナカが好きだった。

カナカの音色が好きだった。

カナカの歌声が好きだった。

カナカの存在が好きだった。


なのにどうして僕等は

何時も擦れ違ってしまうんだろう。

なのにどうして僕等は

同じ人間じゃ居られないんだろう。


肉体の価値を知りたいよ。

意識の価値を知りたいよ。


もっと君と繋がりたいと

そう考えたら

僕は君を抱けなくなった。



「綺麗ね」



カナカが言った。



「雪?」



僕が問うとカナカは薄く笑った。



「ううん、全て」



「全て?」



「そうよ、全て」



カナカの指はギターを奏で続けた。

カナカの奏でる音色は

柔らかく空気の上を浮いてる音色だ。

触れたらすぐに溶けてしまいそうな

粉雪みたいだった。



「地球が汚れてたら、雪は降らないんでしょ?」



カナカは言った。



「何度でも降るわ。

 汚れても、尚、純粋な雪が降るわ。

 その度に私達は、純粋な雪を眺められるの」



だとしたら地球は綺麗だ。

これは奇麗事か。

別に奇麗事でも構わない。


大きな窓の前で、僕はカナカの声を聴いて

大きな窓の前で、僕はカナカと雪を眺める。



「ドーナツ、ちゃんと残さず食べるのよ」



そう言ってカナカは電話を切った。

それっきりカナカは戻っては来なかった。









細い糸。









親愛なるカナカへ。


今宵は雪が降っているよ。

僕等が大好きだった雪だ。


どれだけの鎖が

僕等を固く結び付けたとしても

一個の人間になれる訳では無いんだよ。


僕等は笑顔で手を離すべきだった。


行きたい場所に行き

成りたい自分に成り

全てを自由に選択できたとしても

君が居なければまるで意味なんて無いよ。

そんな事くらい、今ではよく解ってる。


僕等を固く結び付けていたのは

割れない鎖なんかじゃない。

忘れてはいけないよ。


僕等はバラバラに離れてしまった。

誰だって元々はそうだったのかもしれない。

僕等はバラバラに離れてしまった。


どうにか離れぬようにと

鎖で締め付けたとしても

鍵を探し出したとしても

僕等は笑顔で手を離すべきだった。


近ければ見逃す事も在るだろう。

遠ければ聞逃す事も在るだろう。

気付く時は何時だって遅いモンさ。


スノードロップは枯れてしまった。

だけれど、それで良いと思うんだ。


忘れてはいけないよ。

相対する全てに歌を届けよう。

孤独を感じるなら

目を閉じて

耳を澄ませ

手を伸ばすだけで良いよ。


驚く程

自由に









舞ってる。


もう僕等は自由に

其れ等を感じるだけで良いよ。





カナカ、今宵は雪が降っているよ。





其方は、どうだ。

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