■は行
白昼バス(中編)




ずっと走れば辿り着くのだと

ずっと願えば叶い給うのだと

幼い頃に教えられた。


例えば今、こうして

バスは走り続けるのだけれど

僕には其れがどうしても

何かへ辿り着くのだとも

何かを叶え給うのだとも

まるで思えない。


宛の無いバスの中で

僕等は空虚で

とても、空虚で

ずっと走れば辿り着くのだと

ずっと願えば叶い給うのだと

きっと信じて居たのだけれど

もっと大きな流れは其れを許さず。


宛の無いバスの中で

僕等は空虚で

とても、空虚で

しかも既に其れを

どうしようもない程に

共有してしまって居た。




例えるなら、其の名は。








『白昼バス』 (中編)








最後部の座席からは全てが観えた。

此処に居る全ての生徒の姿が観えた。

なので少なくとも

此処からは全てが観えるような気がした。


全てが観えるからと言って

何かをしようと思う訳でも無く

全てが観える事など

例えば今

僕が此の停車ボタンを押したなら

此処に居る全ての生徒の反応が観えるだろうと

詰まらない優越感と征服感に浸れる程度だった。


其れでも僕は最後部の座席から

僕が眺められる全てを、眺めた。


窓の外で過ぎ去る風景を。

窓の傍で流れ往く雨粒を。

窓の内で戯れ合う生徒を。

遠く前方で

大きくハンドルを回す運転手を。

其の度に大きく揺れる吊革を。

車内に貼られた多くの広告を。


其れでも僕は最後部の座席から

僕が眺められる全てを、眺めた。

もしも此処から

全てを観る事が出来るのなら

そうせずには居られなかった。










倫子。










其処には倫子が居た。

バスの中辺よりも

少し後方の座席に

右の窓際の座席に

倫子は一人で座って居た。


僕は倫子を眺めた。

倫子は窓の外を眺めた。

なので表情は解らなかった。


只、其処には

肩まで伸びた倫子の髪と

倫子の白い横顔だけが観えた。


倫子には恋人が居た。

此処には居なかった。

当然だ。


倫子は凝っと窓の外を眺めた侭

随分とまるで動かなかった。

遠くで車内放送が聴こえた。




倫子は僕の理想のような女性だった。

端正な容姿も

明朗な性格も

独特な感性も

其れで居て何処か

サめた雰囲気の在る空気も

倫子を構成する全てに対し

僕は僕の理想と重ね合わせた。


結論から言うと

僕と倫子は出逢ってはいけなかった。


僕と倫子は二年生の春に、同じ学級になった。

其れが既に決定事項で在ったかのように

僕等は自然に、急激に、接近した。


例えば席が隣になった事や

共通の趣味や偶然の一致に

運命的な何かを感じる事は

僕にとっても倫子にとっても

まるで難しい事では無かった。




僕等には互いに

彼女が居て

彼氏が居た。


だけれど

僕等は互いの彼女や彼氏と

其の段階で手を離すような

積極的な勇気は持ち合わせて無かった。


僕等は遊戯を楽しんで居た。

恐らくはそうだった。

抱き合う事も

撫で合う事も

僕等には無かった。

無邪気すぎる感情の中で

僕等は遊戯を楽しんで居た。


互いに手を繋ぐ素振りを見せながら

片方の手は既に

互いの彼女や彼氏と繋げながら

どちらが先に其の手を離すのか

どちらが先に此の手を繋ぐのか

凝っと相手の様子を覗いながら

僕等は遊戯を楽しんで居た。






僕等は、笑ってた。






最後の日。

僕と倫子にとっての最後の日は

今日のような雨空では無かった。

少し曇り空だったと思う。


花火大会の夜だった。

夏休み前の終業式の夜だった。

僕と倫子は放課後に待ち合わせた。

同級生に見付からないように

町から遠い駅で待ち合わせた。

僕等は未だ遊戯の最中に居た。


誰にも秘密だった。

互いの彼女にも、彼氏にも、友人にも

誰にも秘密の、僕等だけの遊戯だった。

独特の昂揚感や背徳感の中で

僕等は共犯だと言って笑った。










花火。










大きな川の側の

小さな橋の下の

とても静かな場所で

僕等は花火を眺めた。


自然に

実に自然に

僕等は手を繋いだ。


やがて花火が終わり

静けさを取り戻すと

僕等は唇付けをした。

何度か唇付けをした。

実に自然に唇付けをした。


其れから

緩やかに

本当に緩やかに

倫子の乳房に触れた。

未だ幼くて柔らかな

彼女の熱を感じた。

僕は其の乳房に、そっと触れた。


僕等は遊戯を終えるべきだった。

其処で終えるべきだった。


音も無い小さな橋の下で

僕は倫子の体温に触れて

僕が繋ぐべき手と

僕が離すべき手を

少なくとも其の時

理解したつもりだった。


僕と倫子は手を繋ぎ

駅に行きバスに乗り

もう其れ以上

何もハナさず

家へ帰った。




最後の日だった。




翌日から夏休みだった。

僕は夏季限定のアルバイトを始めた。

倫子にも彼女にも会う時間が無かった。


もしも其の頃の僕に少しでも

倫子と会う時間が在ったなら

彼女と会う時間が在ったなら

きちんと話す時間が在ったなら

きちんと離す時間が在ったなら

否、少しでも誠実な勇気が在ったなら

今日のような惰性の日々が訪れる事も

もしかしたら無かったのかもしれない。


突然だった。

其れはあまりにも突然だった。

夏休みが中盤に差し掛かった頃だった。


其の日のアルバイトは午後からだった。

確か十時頃に目が覚めたと思う。

居間に出て朝食を食べたと思う。

何を食べたのかは覚えて居ない。

とにかく僕は次に新聞を広げた。

其れを、僕は新聞で知った。


紙面の中で。

記事の中で。

倫子の彼氏は死んでいた。


夏休み中のバイク事故。

理由は本当に呆気ない程に

新聞でよく見かける理由だった。


窓の外を眺めた。

厭に晴れて居た。

其れから夏休みの間

倫子から連絡は無かった。










夏休みが終わった。

僕は学校へ行った。

其処に倫子が居た。


廊下だった。

少し離れた場所だった。

其処で倫子と僕は目が合った。


只、笑いもせず

只、泣きもせず

只、怒りもせず

只、倫子は、僕を、凝っと見た。


何故だか少しだけ

本当に、少しだけ

眩しそうな目をして

僕の周りに漂う空気を

そう

空気を眺めるような目をして

僕を見た。


倫子は僕に歩み寄ると

何も言わず

僕に手紙を差し出した。

其れがどんな内容なのか

もう読まなくても解る気がした。


僕と倫子は

会話を交わす事も無くなった。

視線を合わせる事さえ無くなった。


倫子は遊戯を降りたのだ。

僕にとっても倫子にとっても

其れは既に遅すぎる決断だった。

だけれど倫子は、遊戯を降りたのだ。


僕と倫子の事情は誰も知らなかった。

なので簡単に埋もれさせる事が出来た。

誰も知らない場所に置いてくる事が出来た。


だけれど

僕と倫子は知って居た。

僕と倫子の間に何が在ったのかを。


僕等は背負わなければいけなかった。

互いの中で永遠に、秘めた侭で過ごさねばならなかった。

僕等自身を永遠に、秘めた侭で過ごさねばならなかった。


其の瞬間から僕にとって倫子は

敬愛や崇拝に近い存在になってしまった。

性愛や抱擁と別の感情になってしまった。

決して手に届く事の無い存在になってしまった。


僕は、僕の彼女と、手を繋ぎ続けた。

そう、出来るだけ、何食わぬ顔で。

僕には手を離す理由も勇気も無い。

手を繋ぎ続ける責任と義務が在る。

決して是が厭だった訳じゃない。

彼女の事は好きなのだから。


決して話してはいけない。

決して離してはいけない。

僕はそうするべきなのだと

倫子の最後の手紙には

確かそんな事も書いて在った。








僕は最後部の座席から

窓際の倫子の後姿を眺めた。

最後部の座席からは全てが観えた。

此処に居る全ての生徒の姿が観えた。

なので少なくとも

此処からは全てが観えるような気がした。


否。

観えるような気がしただけだ。

何も観えるはずなどなかった。


今の倫子が眺める風景の先も

今の僕等が眺める風景の宛も

本当は何を考えてるのかさえ

本当は何を求めてるのかさえ

僕には観えてなど居なかった。

全ては今も秘めた侭だ。






























僕等は、共犯だと言って、笑った。






























其れは下校バスだった。

遊戯を降りた僕等が

行き着く先は恐らく

沈黙と惰性の日々だ。


宛の無いバスの中で

僕等は空虚で

とても、空虚で

ずっと走れば辿り着くのだと

ずっと願えば叶い給うのだと

きっと信じて居たのだけれど

もっと大きな流れは其れを許さず。


宛の無いバスの中で

僕等は空虚で

とても、空虚で

しかも既に其れを

どうしようもない程に

共有してしまって居た。








例えるなら、其の名は。








罪や、罰だった。

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