■か行
グラジオラス ―白と黒の猫、少女―




ただいま。

扉を開けると、部屋の中央に置かれた皮製のベッドで眠る少女と、小さな猫が見えた。
改めて言おう。ただいま。
この扉は少しだけ特別で、少女達の一日は、扉の向こう側では一年に値する。

一年振りの再会ならば、少女達にとっては一日振りの再会に過ぎない。
昨日の出来事だと思っているだろう。もしかしたら夢だって見ているかもしれない。
それで僕は少女を眺め、白と黒の猫を眺め、小さく笑って、それ以上に声はかけなかった。
只、扉を開けば眠っている。それが何より大切なのだ。

迷いよ。憂いよ。悲しみよ。どうか、その全てを笑っておくれ。
笑う為に、僕等は生きているのだから。だけれど、どうか、覚えておいてくれ。
何の為に、誰の為に、僕等が笑うのかを。何を、誰を、笑わせたいのかを。それが何より大切なんだ。
笑う為に、笑ってはいけない。自分だけの為に、笑ってもいけない。笑いを裏切ってもいけない。

泣く時は、どうか自分の為に泣いてくれ。
受け入れられぬ現実と、叶わぬ願いに泣いてくれ。そうして忘れないでくれ。
何の所為で、誰の所為で、君が泣くかは知らないが、君が泣くほど溜め込んだのは、君自身の想いだよ。
想いを恥じてはいけない。想いを悔いてもいけない。想いを裏切ってもいけない。

唯、誠実に。
健やかに、穏やかに、軽やかに。
君の想いの全ては、君自身を裏切りはしないのだから。

猫と少女は眠りの中に。
艶かしい剣と鎧の輝きから、芳しい若草の匂いまで。
扉の先の、例えば世界の何処かでも、その寝息を感じていられるという事。
宇宙の中央から、宇宙の片隅から、宇宙の奥底まで、その何処かで、呼吸を繰り返しているという事。

僕等の約束よ。血液と呼吸よ。
グラジオラスを一輪と、それから短い言葉を贈ろう。
もし目が覚めたら気付いておくれ。僕等が何処に居ようとも、扉一枚の距離なんだ。

白と黒のサリィが目覚めて、鳴いて、僕は笑った。
生きていてくれて、ありがとう。
祈りを一輪、今。

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