■か行
カートリッジ&イエロー




ボクラは明日の朝、銀行強盗に出かける。

ボクラってのは、僕とサカナの二人を指す。
サカナってのは目の前にいる女の名前で、もちろん本名じゃない。
サカナはラブホテルのベッドの上で、退屈を弄ぶみたいに、何度も跳ねた。
薄明かりの中で、まるで掌の上のビー玉でも弄ぶみたいに、何度も跳ねてみせた。
僕は一人掛けのソファに座り、その姿を眺めていた。

テーブルの上に、黒いチョコレート・タルト。

僕とサカナが最初に出逢ったのは、五年前。
インターネット上の、あまり有名じゃない音楽サイトだった。
あまり有名じゃない音楽サイトの掲示板に、サカナは毎日のように書き込んだ。
サカナが毎日のように書き込んでいる感想文を、僕は毎日のように読むようになった。
だからサカナってのは、目の前にいる女が、自分で自分に付けた名前だ。

「サカナか、黒猫か、どっちにしようか迷ったの」

これは仲良くなった頃に、メッセンジャーでサカナが言った台詞。
別に名前がどちらだろうと大差ない。
サカナも黒猫も、彼女の偽名に変わりは無いし、
彼女が彼女以外の何者でも無い事に、変わりは無いんだから。

いや、当時と現在で、とても大きな変化が一つだけある。
出逢った頃のサカナには、恋人がいた――。

「何かさ、ドキドキして眠れないね」

ベッドの上で飛び跳ねながら、サカナが言った。
幼稚な下着とニー・ハイ・ソックスだけを身に着けた姿は、ほとんどコスプレみたいだ。
コスプレ姿で、銀行強盗の前日に「ドキドキして眠れない」なんて、随分と呑気な発言だ。

「遠足の前日の、小学生みたいだな」
「ううん、修学旅行の前日の、高校生みたい」
「どっちも大して変わんないじゃん」
「えぇ、変わるよぅ」

明日、僕とサカナは、銀行を襲う。

「修学旅行、何処行った?」
「僕?」
「うん、そう」
「中学校は仙台。高校は長崎」
「へぇ」

自分から質問した割に、明らかに興味の無い素振りで、サカナは大きな欠伸を見せた。

「眠いんじゃん」
「ううん、眠くないよ」
「修学旅行の話、何処行ったんだよ」
「あ、何処行ったんだっけ?」

「だから……」言いかけて、止めた。
話すのも面倒だし、そもそも話したところで大して楽しい話にはならない。
まぁ興味深い話なら、中学校の修学旅行で、何故か動物園に連れて行かれた事だろうか。

普通、行くか? 
修学旅行で、中学生が、動物園に、しかも仙台で。
珍しい動物(例えばパンダなんか)がいる訳でも無いのに。
僕達は、仙台は八木山動物園へと足を運び、美しいキリンを眺めた。

今から考えるに、あれは学校側の予算の都合じゃないだろうか。
中学生は団体割引、一人80円で入園できる点が大きく影響したのだと察する。
昼食として支給されたのも、のり弁と熱いお茶だった。
真夏なのに、熱いお茶を飲まされて、僕達は皆、具合が悪かった。
キリンを眺めた後に寄った「爬虫類館」で、リアルなトカゲを観せられて、磯沼が吐いた。

あれ以来、動物園には行っていない。
学校側は、多感な思春期の生徒達を何処に連れて行くか、もっと吟味するべきだろう。
高校の修学旅行にしたって、何故か長崎で仏像を見た。(だったら京都に行けば良かろう)

自由見学だと言うので、適当に仏像を見て、たい焼きを食べ、
途中から雨が降ってきたので、仲間達とカラオケ屋に行った。
案の定、集合時間に遅刻して、夕食前に同級生達の前で、えらく怒られた。
まぁ、怒られたのは集合時間に遅刻したからというよりも、
完全に酒を飲んでいたからだろう。

むしろ時間的には、ぎりぎりセーフだった。
ところが残念ながら、僕達の呼吸は、完全にアルコール濃度が高かった。
どうしてカラオケ屋なんかに行ったのかと教師に問われたから、
僕達は「傘を持っていなかったから」と答えた。

僕達のテーブルの上には、冷めた土鍋が置かれていた。
教師は一発ずつ、僕達を殴った。

只、酒が飲みたかったんだ。
知らない土地のカラオケ屋で、後先考えずに。
雨上がりの夜空には一切、星が見えなかったけれど、月だけは見えた。

僕達は酒を飲んだ。
ほとんど飲み会と言っても良いくらいだった。
高校生にしては大人びていた中嶋恒夫が「バランタインが美味い」なんて言ったけれど、
田舎のカラオケ屋に、そんな酒が置いてある訳が無く、代わりに安いウイスキーを飲んだ。

要するに、僕達は背徳感に酔っていた。
例えば体育館の裏に隠れて煙草を吸うのと同じ理由で、
修学旅行中の、高校生である自分達が、他の同級生とは別の行動をして、
知らない土地の、知らない店で、教師に隠れて酒を飲むという、背徳感に酔っていた。
それ以外に、人に話せるほど立派な、修学旅行の思い出なんて無い。

「サカナは、修学旅行、何処行った?」
「ニューヨーク」
「嘘だろ」
「ほんとだよぅ」

言いながら、何故かサカナは立ち上がり、タイトなワンピースを身に着けた。
世代の違いか。それとも僕の高校が普通すぎるのか。
サカナは冷蔵庫を開けて、水を飲んだ。

「ジャスミン・ティー、飲みたいな」
「修学旅行でニューヨークなんて行くかよ」
「行ったよ、高校生の時、全員パスポート取って」
「どんな学校だよ、それ」
「女子高だよ」

「高校生の時」なんて思い出っぽく話しちゃいるが、サカナは去年まで高校生だった。
逆算すると出逢った頃、サカナはまだ中学生だったという事になる。
彼女のほとんどは一般的な女子中学生と変わらず、携帯電話さえ持っていなかった。
髪型はおかっぱで、前髪が綺麗に切り揃えられていた。

例えば当時、サカナがインターネット上に載せていた自己紹介によれば……
好きな花は、オレンジのマーガレット。
好きな食べ物は、七味とうがらしと抹茶パフェとチチヤス・ヨーグルト。
好きな芸人は、インディゴ・ブロッコリー。(僕は未だに見た事が無い)

実に中学生らしい。
ちなみにマーガレットの花言葉が「真実の愛」だと僕が知ったのは、
サカナが恋人と別れた後だった。
それだけが、あまり中学生らしくは無かった。

「ニューヨークでは、何を観たんだ?」
「んとね、猫だらけのジオラマ」
「何だ、そりゃ?」
「知らない」

「きっこちゃんと一緒に」と意味不明の情報を付け加えると、
サカナはベッドに寝転んで、息を吐き、大きく手足を伸ばした。
それから枕元のスイッチに触れると、黄色と青色の照明が、リズミカルに回転した。
サカナは一人で笑い、何の変哲も無い感想を、何の変哲も無く口にした。

「変な照明」

サカナ曰く、変な照明に、ボクラは照らされていた。
そうさ今、この瞬間、ボクラは黄色と青色の、変な照明に照らされていた。
大して変わった人生でも、恵まれた人生でも無い。
別段、人前で目立った事なんて無く、かと言って目立ちたくなかった訳でも無い。
普通に生きて、普通に死んでいくだけの、果敢なき僕の人生よ。
少し前まで、僕の人生は、その予定だった。

「本当、変な照明だな」

僕が言うと、サカナは此方を見て立ち上がり、ワンピースの裾を上げた。
それは幼い下着の欠片が見えそうで見えない、絶妙なラインで停止して、
ある種の絶対的な領域を自己演出していた。

「パンツ見たい?」

幼稚な誘惑。
誘惑と呼ぶには稚拙で、単純な接近。
ほんの数ヶ月前に、サカナは十九歳になった。
サカナを見ると、僕が歳を取った理由も解る気がしてくる。

僕はサカナを五年前から知っているが、
実物のサカナに会うのは、今日が初めてだった。

五年前から知っている、しかし会った事も無い女と、
初めて会った数時間後に、セックスする男の気持ちが解るか?
枕営業じゃあるまいし、よく知っているけれど、何も知らない女と。

回転する。
黄色と青色の照明。
透明のままよりは、ずっと良い。

サカナは、一人掛けのソファに座る僕の股間を、またぐようにして対面で座った。
ワンピースの裾から幼い下着の欠片が見えて、僕はサカナの唇を舐めた。
サカナが僕の両肩に腕を回し、舌を出し、唇を舐め、首筋を噛もうとした瞬間。

「……何が欲しかった?」

サカナは言った。
何が欲しかったんだろうな、僕は。
多分、出来るだけ、普通の事。それでいて特別な事だったと思うよ。

「昔さ」
「うん?」
「金は無いけど有望なアイデアを持った奴等が、
 社長達の前でプレゼンして、見込みがあれば出資してくれるって番組があった。
 吉田栄作が出てた番組でね。マネーの虎っての」
「知らない」

サカナは笑った。
何が楽しかったんだろうな、彼女は。
多分、この瞬間、サカナには笑う事しか出来なかったんだと思うよ。

「動いて」

サカナがインターネット上の日記で、
頻繁に「消えたい」と言うようになったのは、十九歳になる少し前の事だった。
原因が失恋にある事は、明白だった。
ほとんど時期を同じくして、恋人のサイトが閉鎖されたからだ。

僕とサカナが出逢ったサイト。
あの、あまり有名じゃない音楽サイトは、サカナの恋人のサイトだった。
(もっとも閉鎖する頃には、それなりに有名なサイトになっていたのだけれど)

詳しい理由は知らないが、とにかくサカナは恋人にフラれた。
ほんの少しだけ有名になり始めた恋人に、悪く言えば、手酷く捨てられた。
良く言えば、面倒が起きる前に、手っ取り早く縁を切られた。
だからサカナは「消えたい」と言うようになった。

サカナに自殺願望があったのかといえば、少し違うと思う。
「消えたい」と「死にたい」は、圧倒的に違う。
サカナは何も望んでいなかっただけだ。
行く場所を見失っただけだ。

しかし世間(少なくともサカナの周囲)は、そのようには見なかった。
サカナはインターネット上で重たい日記を書く女に過ぎなかった上に、
それを他人に公開する女だったから、彼女の周囲の環境は一気に冷たくなった。
要するに、

「めんどくさい」

その頃には、サカナがインターネット上に載せていた自己紹介も、随分と変化した。
好きな花は、薔薇の花。
好きな食べ物は、マーマレードとチョコレート・タルト。
好きな芸人は、特に無し。
代わりに今欲しいモノが書いてあって、それは黄色いパンプス。
(将来の夢は、花嫁さんだったけれど、後日削除された。)

「その、吉田栄作が、どうしたの?」
「マネーの虎ね」
「うん」

一攫千金を狙うのは、男の性なのか。それとも単に、僕の性なのか。
本当に欲しいモノなんて、そう多くは無い。
多分、出来るだけ、普通の事。それでいて特別な事だったと思うよ。

「だから私を、銀行強盗に誘ったの?」

言いながら、サカナは笑った。
腕の中で上下に揺れながら、酷く愉快そうに笑った。
別に。
単純に金が欲しいから、サカナを銀行強盗に誘った訳じゃない。

「違うよ」

死ぬ気でやるなら、何だって出来ると思ってさ。
今日、サカナは快速電車に揺られて、僕の住んでいる町に来た。
タイトなワンピースを着て、何故かお土産に、黒いチョコレート・タルトを持って。

「宝くじ、買えば良いのに」
「宝くじは買わない。あんまり意味が無いから」
「変なの」

知り合って五年。
初対面。正しくファースト・インパクト。
初めて会う目的が銀行強盗になるとは思わなかったし、
予想した以上に、サカナが美人だという事も知らなかった。
(何せ昔、中学時代のプリクラ画像を少し見せられた程度だったから)

倒錯的な違和感と、人為的な既視感。
サカナは僕の背中に爪を立て、演技的に喘いだ。
それから恐らく意識的に、何度か他の男の名前を呼んだ。

サカナは大人になった。
そして多分、それなりに、僕も。

「卒業だよ」
「卒業? 今更? 何を?」
「吉田栄作という存在からの、卒業」
「何それ?」

死ぬ気で銀行強盗を決行して、それでもう全て終わりにしよう。
簡単な話だ。
僕は店を襲って、サカナは裏口で盗難バイクを待機させて待つ。
速やかに金を奪ったら、すぐさまバイクで逃げるんだ。
何時か観た映画みたいに、鮮やかな手口さ。

「何処に逃げるの?」
「そうだな、サイコロを振って、出た目に従って」
「はは、適当なんだ」
「何処に逃げたい?」
「ニューヨーク」

物好きだな。
逃亡犯なのだから、もっと穏やかな場所が良いと思うけれど。
仙台から、長崎を経て、ニューヨーク。ドキドキして眠れないんだろう?

「今は、修学旅行の前日だから」
「なるほど」
「修学旅行はニューヨークって決まってるの」
「なるほど」

別に決まってなんかいないけれど。
サカナはニューヨークへ逃げて、また猫だらけのジオラマでも見るのだろうか。
ボクラの鮮やかなソウルが海を越え、またウルトラソウルな感じで。
それとも教師に隠れて、また幼稚に酒でも飲もうか。

「ロング・アイランド・アイスティー」

サカナが言った。

「何だい、それ?」
「お酒だよ、ニューヨーク生まれのカクテルなんだ」
「へぇ、それが何なんだい?」
「無事ニューヨークに逃亡できたら、一緒に飲もう」
「はっは」

僕とサカナは抱き合ったまま、
淫靡に揺れながら、普通の会話を続けていた。
それは気が付くまで延々と続けられる、幼稚な遊戯のようだった。

「支払いはカードで? 現金で?」

そうだな。
欲しいモノなら沢山あるけれど、本当はとても少ない。
まずは現金をドルに交換しなければならない。

「イキそ」
「イイよ」

ボクラは白濁した泡みたいだ。
飛んで、弾けて、消えるのも自由ならば、流され続けるのも自由だ。
子供に戻れず、大人に成れず、人間らしく生きたいだけの、ヒトモドキみたいに。

「サヨナラ」

明日は多分、ロックの生まれた日になるよ。
僕とサカナが出逢ったのは、あまり有名じゃない音楽サイトだった。
そこにはノイズ交じりの六弦の音と、間の抜けた歌声があって、それをボクラは聴いていた。
飽きる事も無く、延々と、延々と。

少しだけ眠ろう、明日が来る前に。
カートリッジならば交換しておくよ、美しくリロードする為に。
あの日、動物園で眺めたキリンの首は、黄色く、一直線で、美しかった。
ボクラも、あのように。

サカナ、死ぬ気で生きるなんて、暑苦しいな。
それでも何かを終わらせ、何かを始めながら、また終わって往く世界だ。

黄色と青色の照明が、まだ回転している。
交互に回転し続ける光ならば、僕は黄色の方向を選ぼうと思う。
太陽の見える方向を。
交換式のカートリッジみたいに、鮮やかに飛んで、消えたいぜ。

もしもボクラが捕まるならば、三面記事に本名付きで、ポートレートを載せてくれ。

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