線路は続いている。
並列して交差して分岐するように。
昨日と今日と明日が連続して続いているように。

あの日、小さく手を振って、私達は別れた。
それ以来、私と神田君が出逢う事は、二度と無かった。
一直線に続く線路が、実は緩やかに曲がっているように、私は此処に来た。

花柄のワンピースが欲しかった。
今よりバイトの時間を増やして頑張れば、
もしかしたら夏休みまでに買えるかもしれないと思った。

店長に事情を話すと、意外と簡単に勤務時間を増やしてくれた。
その代わり、バイトを終えて帰宅する時間は、それまでよりも少し遅くなった。
帰宅する時間が変わったので、帰りの電車で神田君の姿を見かける事は無くなった。

それでも花柄のワンピースを手に入れたら、また会えると信じていた。
バイト時間を元に戻せば、何時もの電車に神田君は座っているはずだった。
私は「あのね、ワンピース買っちゃった」なんて笑いながら、話しかければ良かった。
そんな自分を想像して、安心していた。

夏休みが始まった。
バイトの時間を増やしていたおかげで、その月の給料は多かった。
みんなでディズニーランドに行く約束の三日前に、あのワンピースを買いに出かけた。

全てが手に入る予感に、私の気分は高揚していた。
それさえ手に入れる事が出来たら、私の未来は安心だと思った。
また神田君に会って、笑って話して、秋の公園で写真を撮って貰いたかった。

そうだ、その前に「神田君、まだライカ買ってないの?」なんて、
ちょっと意地悪な事を言ってやろう、なんて思って、私は一人で笑ったんだ。

もしかしたら同級生の女の子達は、親からお小遣いを貰って、
素敵な洋服や、鞄や、宝石だって持っているかもしれなかったけれど、
私は花柄のワンピースが欲しくて、欲しくて、だけれど手に入れる自信がなくて、
だって高いから、普通の高校生の女の子が手に入れたいと願うには高いから、自信がなくて、
それでも私は欲しくて、欲しくて、欲しかったんだよ。

ねぇ、神田君。
こんな気持ち、皆は何て呼んでいるんだろう。
その時と同じ気持ちを、今の私は、あまり感じる事が出来ないのだけれど。

ねぇ、神田君。
胸を張って君に会いに行けなくなってしまったのはね、
きっと臆病だった私のせいで、何かを欲しがるのは、やっぱり今も怖いのよ。

花柄のワンピースは、売り切れていた。




第九話 『陽炎』



店中を探したけれど、何処にも飾られていなかった。
そんなに広くない店内が、すごく広く感じられたのは、何故だったんだろう。
私は迷子になってしまったみたいに、何度も、何度も同じ場所を行ったり来たりして、
その内、何処にも動けなくなってしまった。

「……何かお探し?」

綺麗なお姉さんが話しかけてきた。
店員さんだ。
私はほとんど泣きそうな顔で、何て言ったっけ。
きっと花柄のワンピースの説明を、事細かに話したんじゃないか。

「……あれね、輸入品だから、限定だったのよね」

「他に買える店、知りませんか」

「……何処の店でも扱ってないと思う、ごめんね」

帰り道の途中で、別に欲しくも無かったCDを買った。
何が良いとも思わなかったし、今すぐ必要でも無かったけれど、買った。
別に欲しくも無かったCDを入れた小さなビニール袋を持って、私は家までの道を歩いた。

部屋に着いて、別に欲しくも無かったCDを聴いた。
それは別に欲しくも無い音楽で、別に求めてる訳でも無い歌声で、それを何度も聴いて、
何度も、何度も、聴いて、何度も繰り返し聴いてる内に、私は自分が泣いている事に気が付いた。
だから、それは音楽のせいだな、と思ったけれど、やっぱり、それは別に欲しくも無い音楽だった。

三日後、みんなでディズニーランドに行った。
私は、履き慣れたミニ・スカートを履いて、今までと変わらない、何時もの私だった。
あんなに楽しみにしていたディズニーランドなのに、田舎の親戚の家に行く日のような気分だった。
もっと他に行きたい場所があったのに、行けない気分だった。

待ち合わせ場所は、駅前だった。
友達はみんな、何だか普段とは少し違う雰囲気で、それは新しい洋服や香水のせいで、
きっと夏休みの為に、もしかしたら今日の為に、わざわざ用意したモノなのだろうな、と思った。

「ごめんね、待った?」

一番最後に到着した女の子は、花の香りがした。
香りに誘われるように振り向くと、花柄のワンピースを着た女の子が、そこに居た。

「あ……」

それは、あの花柄のワンピースだった。
友達はみんな、無邪気に花を摘むように、その女の子を囲んだ。
私は、もう決して触れる事の出来なくなった花畑を見るような気持ちで、彼女を眺めていた。

「わぁ、可愛い、そのワンピース、どうしたの?」

「あのね、今日の為に買ったの」

「わぁ、高そう」

「買ってもらったんだけどね」と、彼女は悪びれる様子もなく言った。
もちろん悪びれる必要はないし、無邪気な女の子らしい彼女の姿には、普段から好感が持てた。
私が彼女を嫌う理由なんて何処にも無いし、私が彼女を嫌う権利も無かった。
只、私よりも相応しい人が手に入れただけだ、と思った。

そして、笑った。
普段よりも必要以上に、笑って過ごした。
今日は機嫌がいいね、なんて言われたら、余計に笑ってみせた。
笑いながら「これで神田君に会いに行く理由が無くなってしまったな」と思った。

ねぇ、神田君。
あの後、君はライカを手に入れる事は出来た?
欲しくて、欲しくて、どうしようもなく欲しかったモノを、手に入れる事は出来た?

ねぇ、神田君。
もしも君が今の私を見たら、何と言うのだろうね。
あのワンピースを手に入れられなかった私なんて、もう撮ってくれないかなぁ。

どうせ私なんて。

あの日。
小さく手を振って、別れた日。

きっと君は、あの日の最後に、
あのカタログの中のライカで、私を撮ったんだと思うよ。
そうして、君が残した写真の中で、私は、今も、此処から動けずに居る。

陽炎みたいに、その景色ばかり見ている。


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