一周まわって、また会おう。
レトロな螺旋階段。
アナログなレコード盤。 ティーカップ・アンド・ソーサー。
同じ事の繰り返し。
もしも繰り返される事に何の意味も無いんだとしたら。 宇宙が生まれてから今日まで、何の意味も無かった事なるのかなぁ。
一周まわって、また会おう。
土星の環。 ハレー彗星の軌道。 太陽系第三惑星の自転と公転。
同じ事の繰り返し。 まるで成長しないのだなぁ。 だけれどソコが、アタシ達の良いところだよ。
多分ね。
#4『記憶・秋(Like a tea cup & saucer.)』
「何してんの?」
家に帰って部屋の扉を開けると、タダオが居た。 アタシのお気に入りの小さな白のソファに勝手に座って、
生意気に足なんか組みながら、真っ赤なギターを弾いて居た。
晴れた日曜日だというのに、 勝手に女子高校生の部屋に上がり、
健全な男子高校生が、何をして居るのだろうか。
わざと大きく漫画みたいな咳をして、 手に持っていたお出掛け用のバッグを床に置き、
一昨日買ったばかりのツイード・ジャケットを脱ぎながら、もう一度。
「何してんの?」
真っ赤なギターを膝に抱えて、タダオは瞬間、緩やかに、六弦を弾いた。
気持ちの良い和音が響いて、それが部屋の空気に溶ける頃、ようやく声を出した。
「ギター弾いてんの」
「それは見れば解る」
「小父さんがエフェクターくれるって言うからさ」
「えふぇ、何?」
タダオは返事もせずに天井を見上げ、小さな欠伸をした。 目に退屈そうな涙を浮かべながら、もう一度、気持ちの良い和音を響かせた。
「ちょっと、聞いてんの?」
高校一年の夏に、タダオは真っ赤なギターを買った。
ギターを手に入れてからというもの、タダオはすっかりギター星人みたいになって、
暇さえあればギターを弾くし、暇がなくてもギターを弾くので、人が寄り付かない。 もう二年生になったのに、高校にも全然友達が居ないっぽい。
晴れた日曜日に、友達にも会わず、何処にも行かず、 アタシの部屋で何をやってるのだろうか。 幼馴染として心配になる。
「エファクターだよ、ビッグマフ」
「は?」
「もう要らなくなったからってさ」
何言ってんだ。
えふぇ何とかのビッグマック? マクドナルドの新しいメニューか何かだろうか。
あんまり沢山買ってきて、もう食べられないから、
残すのもなんだし、せっかくだからタダオにあげようという事か。
もったいない。タダオなんかに全部あげるのは。アタシだってお腹空いてるのに。
「アタシの分は!」
「は?」
「えふぇマック!」
「は?」
一弦が甲高く、変な音で鳴いた。 タダオには好きな女の子さえいないのではなかろうか。
いやさ、いるのだろうか。一応、こんな奴でも、もう高校二年だし。
「あれ、だけど今、お父さん、まだ帰ってなかったよ?」
「だからミサエの部屋で待ってるんだって」
「アタシのえふぇマックは!?」
「何の話だよ」
ストラ……何だっけ。 真っ赤なギター。ストラトキャスター。真っ赤なストラトキャスター。
それがタダオが買ったギターの名前で、それがアタシとタダオの間に、入るようになった。
幼馴染で、同じ高校に通ってるとは言え、
もうアタシ達は子供じゃないから、一緒に登下校したりしない。 廊下ですれ違っても、いちいち声をかけたりしないし、わざわざ顔を見たりしない。
それは多分、一般的に、皆に等しく訪れる、大人への成長という現象だと思われる。
言いたい事は思い浮かぶけれど、タダオがギターを弾き始めたらな。 声を出すのも何だから、何時でもアタシは眺めてる。
眺めながら、声を出さずに話してる。
最近、どんなテレビ観てんの? よく解んない。
最近、アンタ何時に寝てんの?
どうでもいいけど。
最近、何考えてんの? たまに姿を見かけても、何かギターと一緒だし。
放課後の音楽室で。
雨の日のバス停で。 それから、こうして、アタシの部屋で。
アタシとタダオの間には、ギターが入るようになった。
それはアタシ達の間に生まれた半透明の膜のような、壁だった。 指で触れるだけで簡単に割れそうな、一枚の薄い膜だった。
それがアタシとタダオの間に、入るようになった。
タダオが和音を響かせ続けて、フと気が付くと、それは音楽になって居た。
ヘタクソな曲だなぁ。真っ赤なストラトキャスター。 今、薄い膜を隔てた向こう側で、タダオはギターを弾いている。
人差し指で触れるだけで、簡単に割れそうなのに、割る事は出来なかった。
只、アタシは一人、この薄い半透明の膜が割れないように、声を出さずに話してる。
最近、どんな服買った?
アタシは一昨日さ、ツイード・ジャケットを買ったんだ。
今日、デートだったからね。 タダオは別に興味ないかもしれないけどね。
好きな服を着てさ、朝から待ち合わせて、行ったんだ。 アタシ達が子供の頃に、何度か一緒に行った、あの遊園地だよ。
「何か飲む?」
アタシは部屋を出て、居間に降り、温かい紅茶を淹れると、再び部屋に戻り、
相変わらず白のソファに座りながらギターを弾くタダオの前に、それを置いた。
「レモン・ティーが良かったな」
「ミルク・ティーの方が美味しいでしょ」
レトロな螺旋階段。 アナログなレコード盤。
ティーカップ・アンド・ソーサー。
朝早くに出掛けた遊園地は、日曜日だというのに人が少なかった。
秋だから肌寒いし、不況だし、遊園地なんて年に何回も行くもんじゃない。
たまに行くから良いのだけれど、たまに行くなら、一緒に行く相手って大切だよね。
二ヶ月前に生まれて初めて彼氏というモノが出来たのだけれど、
正直、彼氏という存在を、どう扱って良いのか解らないのよね。 何か、こう、特別な事をしなくちゃいけない気がしてさ。
静かな場所って苦手だよ。 空白を音で埋めなきゃいけない気がしてね。
不思議なのはね、遊園地みたいな雑音だらけの場所でも、 静けさを感じる事は出来るって事なんだよ。
それでアタシは今日、何回、空白を埋める為の笑い声を出したと思う?
「静かな曲だね」
タダオは聞いちゃいない。
まったく聞いちゃいないから、言える事ってのもある。 アタシはさ、目と目を合わせられると、言えない事の方が多いもんな。
アタシの彼氏の名前、タダオは覚えようとしないけど、ミカミくんね。 ミカミくんは、アタシの目を見て話すんだなぁ。
それが正直、少し苦手ではある。
ミカミくんは、真面目で、素直で、正直な人なのだろう。
好きなモノは好きと言うし、嫌いなモノは嫌いと言える。 少し強引とも言える、その真っ直ぐさに、何となく引きずられて、
決して不快ではない、その真っ直ぐさに手を引かれて、アタシは彼女になって、 こうして晴れた日曜日に、遊園地に行ったんだ。
「それなんて曲?」
静かな場所って苦手だよ。 静かな曲は、あまり苦手じゃないかもしれない。
静かな人や、静かな時間や、静かな仕草や、静かな記憶なんてのもね。
今日一回だけ、本当に笑えた事があってね。
ジェット・コースターに乗る前だったんけど、何故だか解る? まぁ、解んないだろうね。
もしもタダオが誰かとジェット・コースターに乗る日が来たら、 もしかしたら、何時かは解るかもしれないね。
解らないかもしれないけどね。
とにかくアタシは笑って、 そしたらミカミくんも笑って、 何となく申し訳ない気分になった。
ジェット・コースターに乗る頃には、すっかり一人ぼっちな気分でね。
誰かと一緒に居るのに、一人ぼっちな気分になる事ほど、悲しい事って中々ないよ。
細い線路の上を、急上昇と急降下でグラングランに揺られて、アタシは孤独だって思った。
それって恐怖。大恐怖だよ。この世の終わりみたいな気分だもんね。
だけど、それって罰だなぁ、とも思ったの。
だってミカミくんが隣にいるのにさ、 アタシが笑ったのは、タダオ。
君を思い出した時だけだったんだ。
アタシの初めての彼氏。 名前はミカミくん。
頭が良くて、真面目で、背が高くて、
付き合って二ヶ月だったけどね、 アタシの初めての彼氏。
どうせ忘れちゃうでしょ、タダオ。
「ボブ・ディラン」
「へぇ、誰の曲?」
「ボブ・ディラン」
始まる一日の終わりに。
最後に、アタシとミカミくんは、観覧車に乗った。
観覧車は静かに、大きく、円を描いた。 緩やかな速度のままで。 音も無く。
気が付けば観覧車は頂上に達して、 アタシは全てが見渡せたような気分になった。
あの瞬間、アタシとミカミくんの視点は、きっと同じだった。
上り終われば、あとは下るだけで。
アタシとミカミくんは、遊園地を出て、互いの家路に着いた。
土星の環。 ハレー彗星の軌道。 太陽系第三惑星の自転と公転。
ねぇ、タダオ、聞いてんの?
「小父さん、遅いな」
「えふぇマック?」
「おなかすいたな」
静かな場所って苦手だよ。 空白を音で埋めなきゃいけない気がしてね。 静かなのが苦しくないって、きっと素敵なんだよ、タダオ。
もしも繰り返される事に何の意味も無いんだとしても、 アタシは嬉しかった事や、楽しかった事や、悲しかった事を、忘れずに居たい。
宇宙が生まれてから今日まで、何の意味も無かったのかもしれないけれど、 アタシの気持ちには、感情には、意味が在ったんだと思いたい。
「あ、そういえば」
突然、タダオは手を止めた。 六弦は余韻を残しながら止まり、 数秒かけて、部屋の空気に溶けた。
「言うの忘れてた」
タダオは大切に抱えたギターを置いて、 少しだけ冷めたミルク・ティーを飲んでから、言った。
「おかえり」
アタシは大切に抱えた思い出を置いて、 少しだけ冷めたミルク・ティーを飲んでから、言った。
「ただいま」
同じ事の繰り返し。 まるで成長しないのだなぁ。 だけれどソコが、アタシ達の良いところだよ。
多分ね。
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