■ま行
窓の外で、紐が揺れている。




窓の外で、紐が揺れている。

風は強くは無かった。

紐は眠りに着く前のように

酷く、緩やかに揺れている。


紐は何処から伸びているのか?

紐は何時から揺れているのか?

僕の頭に浮かぶ疑問の大半は

実のところ、別にどうでも良い事だった。


何故ならば

僕は部屋のベッドの上に寝転んで電話をしていたし

電話をしている相手との会話の内容に夢中であったのだから

窓の外の紐は、電話の最中に不意に目に入った窓の外の紐、に過ぎなかった。


僕等は実に他愛の無い話を交わしていた。

互いの身に起きた本日の些細な出来事や

共通の知人に関する噂話や、価値観の話や

最近は何が好きで、最近は何が嫌いか、など。


其処で僕は、野球が好きで、卓球が嫌いだ、と言った。

理由は、使用球の大小の差、だ。

ならばサッカーボールの方が大きいのでは、と返されたが

サッカーボールは足で扱うから用途が違うのだ、と言った。


するとバスケットボールはどうなるのだと問われたが

バスケットボールは素手で扱うから違うのだと言った。

其処で問題となるのがテニスボールの大きさになる訳だけれど

紆余曲折を経て、テニスボールは若干好きという結論に達した。

もちろんテニスという競技が好きな訳では無い。


あくまでも野球の使用球を基準に、テニスボールも認めたというだけで

其れから、アンダースコートの是非に関して、討論に及んだ。

以上のように、実に他愛の無い会話を交わした。


其のような、電話口から聴こえる声は

僕にとって日常を忘れさせるに充分な声で在ったし

要するに紐の存在など気にも留めぬような時間で在ったのだ。

そうして次に紐の存在を思い出したのは、何と電話口からの声によってだった。



「窓の外で、紐が揺れているのだけれど」



先に其の台詞を口にしたのは

僕ではなくて電話口の声の方だった。


カーテンを閉めた窓の向こう側に

紐の影が緩やかに揺れて居る、と言うのだ。

其の光景は、正しく、僕と共有すべき、光景だった。

其の光景は、寝転んだ僕の視界の端に、今も見えて居た。


カーテンを閉じた窓の向こう側に

細くも太くも無い、紐が、緩やかに揺れて居る。


紐は何処から伸びているのか?

紐は何時から揺れているのか?

更には、どうして今、紐が揺れているのか?

僕の頭に浮かぶ疑問の大半が

一斉にして、僕の感覚に問いかけた。


紐は、何処に繋がって居る?

電話口からの声が言った台詞を考えれば

紐は電話口の相手に繋がって居る事になるのだろう。


其れは何色の紐なのか。

素材や質感は何なのか。

僕が其れを問おうとすると、電話口の声は、こう言った。



「カーテンを開けたくない」



成程、もっともだった。

僕だってカーテンを開ける気にはなれなかった。

だとすれば僕の方も、紐の色や素材や質感を、知り得るはずも無いけれど。


だけれど僕等は

互いの身に起きた本日の些細な出来事や

共通の知人に関する噂話や、価値観の話や

最近は何が好きで、最近は何が嫌いか、など

実に他愛の無いの話をする気には、もうなれなかった。

互いに見える紐の謎を何とかしなくてはならなかった。


紐が

此処から電話口の声の先まで繋がっているという事実は

距離的にも、常識的にも、通常では、まず考えられない。

だけれど似た体験を共有した時に、人は思うモノなのだ。

この人こそ理解者だ、と。


まず僕は、僕のカーテンを開けるように、努めるべきだった。

得体の知れぬ何かを確認しなければ、何も言えないからだ。

影は先程より濃くなったようにも、薄くなったようにも見えた。

だけれど揺れ方は、先程とまるで同じだった。


放っておけば見逃す程に

緩やかに。

緩やかに。


僕は受話器を片手に立ち上がると

ゆっくりと僕のカーテンに近付いた。


しかし不意に頭をよぎった。

もしもカーテンを開いて見たところで

実は何の変哲も無い普通の紐だったなら

夜風にぶら下がるだけの単なる紐だったなら

此の感覚は何だったのかと馬鹿らしくなるだろう。


延々と他愛も無い会話を交わし続けていた時の方が

どれだけ有意義に過ごせた事かと思うだろう。

カーテンを開ける事で得る物と失う物は

恐らくは、半々なのだと思う。

僕は足を止めた。


受話器の向こうから声が聴こえた。

既にカーテンを開けて、紐を見たと言った。

其の紐は屋根を越え、頭上に延々と伸びており

力強いロープのような手触りで、赤色なのだと言った。


僕はカーテンを開けなければいけなかった。

いずれにせよ全てを解明しなければいけなかったのだ。

僕はカーテン手を伸ばした。




不意に、キャッチホンが入った。




カーテンに触れた手を止めた。

僕は電話口の向こうの相手に一声かけてから、キャッチホンを受けた。

新たに受けた先の声は、よく知った声だった。

新たな声は言った。


















「窓の外で、紐が揺れているのだけれど」
























僕は電話を切り、眠った。

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