■ま行
メリー・クリスマス・アンド・アイ・ラブ・ユー




師走とはいえ、12月28日にもなると退屈だ。

大学生であれば今頃、冬休みを謳歌していたのかもしれない。
社会人であれば今頃、忘年会に参加していたのかもしれない。

しかし週四回のアルバイトの身分である上に、
アルバイト先は昨日で仕事納めだし、忘年会も無い。
オッサンばかりで会話も無いから、何かを謳歌する関係性がない。
それで今、この退屈をどう扱えば良いのか解らない。

退屈ならば大掃除でもするべきだ。
正月に揚げる凧のように考えながら、誰も正月に凧など揚げない。
この退屈なる退屈の処理方法に、わざわざ大掃除を選択するほど退屈では無い。

育枝は家に居ない。
目が覚めたら、もう既に居なかった。
育枝の仕事は年末年始も休みがないから、家に居ない。

仕方がないからシャツを着て、ジーパンを履いて、鍵を持って、
ダウンジャケットを着込んで、扉を開けると、吐いた息が白かった。
世界は少しだけ白い。剥き出した灰色のアスファルトが見え隠れしている。

近所のツタヤで「メリー・クリスマス・アンド・アイ・ラブ・ユー」なるDVDを借りた。

クリスマス当日はバイトだったから、今年はクリスマスらしい事を何もしていない。
せめてクリスマスらしい映画でも観ておこうとツタヤの中を徘徊したところ、
めぼしいクリスマスらしい映画のDVDは、ほとんど借りられたままだった。

貸出期間七泊八日というシステムに問題がある。
恐らくクリスマス前に借りたであろうDVDが、28日になっても返却されていない。
それでまぁ、何とか見付けだしたのが「メリー・クリスマス・アンド・アイ・ラブ・ユー」。
何ともダサイ題名だし、監督の名前も、主演俳優の名前も、聞いた事がない。

目を引いたのは、唯一点。
小松崎スミレという女優の名前が気になったからだ。
別段、奇妙な名前でも無いが、何となく気品を感じる響きだった。

僕は「メリー・クリスマス・アンド・アイ・ラブ・ユー」を借りた。
七泊八日で借りた。

そんな映画、知りもせず、聞いた事もない。
そもそもクリスマスならば三日前に終わっている。
しかし帰り道、僕は少しだけ小走りだった。

小松崎スミレ。
小松崎スミレなる女優の演技を観てみたい気分だった。
小松崎スミレは何歳で、どんな顔で、どんな声で、どんな演技をするだろう。

名前の響きは、ほのかに清楚な昭和っぽさを感じさせる。
和服の似合う黒髪で、細く伸びた白い腕や、薄く笑う紅い唇を想像した。
鍵を回して扉を開け、ダウンジャケットとジーパンとシャツを適当に脱ぎ捨て、
部屋着に着替えると、借りてきたばかりの知りもしない映画のDVDをデッキに挿入した。

師走とはいえ、12月28日にもなると退屈だ。

大学生であれば今頃、冬休みを謳歌していたのかもしれない。
社会人であれば今頃、忘年会に参加していたのかもしれない。

しかし週四回のアルバイトの身分である上に、
中途半端に夢を見続けた僕に、今更行き場も逃げ場もない。
退屈を扱う術には随分と慣れた気で居たが、この先には、もう何も無い。
それで今、この退屈をどう扱えば良いのか解らない。

12月28日。
メリー・クリスマス・アンド・アイ・ラブ・ユー。
僕は硬いソファに浅く座り、95分に渡る、その退屈なC級映画を眺めた。

冒頭、寂れた刑務所の外観が映し出される。
北国なのだろう、周囲は雪に包まれ、看守が一人立っている。
それはヤクザ映画だった。思っていたのと少し違った。

刑務所を出所したばかりの4人のヤクザが偶然出会いバンドを組もうとする。
しかし連日ケンカばかりで、刑務所の中で耳にした「奇跡の融合」は生まれない。
初ライブで小さなライブハウスを一軒全焼させて話題になるも、満足感は得られない。
自分達の納得のいく「No. New York」(BOOWYのコピーバンドなので)を演奏できない。

刑務所を出て、再び娑婆に戻り、バンドという目的を見付けたはずが、
何時の間にか目的に踊らされ、やがてその目的さえ見失っていく。
ライブハウスに虚しく響く、ヘタクソな「No. New York」――。

小松崎スミレの姿を、僕は探した。
すると先程からベースを弾いている中年男性が小松崎スミレなのだと気付いた。
続けて眺めていくと、小松崎スミレは中年男性ではなく、中年女性だという事に気付いた。

短く刈り上げた髪は、確かにほのかに昭和っぽいが、清楚というより精悍で、
細く伸びた白い腕は女性らしいというより、失敗したシド・ヴィシャスのようであり、
薄く笑う唇は、紅いというより青白かった。

小松崎スミレは完璧に、ロックに憧れる麻薬中毒の元・女性服役囚の役だった。
恐らく昔からそのような役柄ばかりをこなしてきた女優という訳ではないのだろう。
スラリとした輪郭線や、時折見せる眼差しに、美人の面影を窺い知る事が出来た。
齢にして40代半ば。美人女優として売るには後がなく、他に道を探すには遅すぎる。
慣れないベースを弾きながら、画面の中、小松崎スミレは短く呻いた。

「生きていたかっただけなんだ」

師走とはいえ、12月28日にもなると退屈だ。

大学生であれば今頃、冬休みを謳歌していたのかもしれない。
社会人であれば今頃、忘年会に参加していたのかもしれない。

小松崎スミレはベースを床に叩き付け、前浜真也(ボーカル)を殴る。
中途半端に夢を見続けたバンドに、今更行き場も逃げ場もない。
再び刑務所に戻るような荒れた生活になりかけた4人は、ある希望の種を蒔く。
それは12月25日、解散をかけた路上ゲリラライブを決行することだった――。

「ただいまぁ」

玄関の扉が開き、続けて廊下を歩く音が聞こえた。
育枝の声だった。
育枝は居間の扉を開けると、「あら」とマヌケな声を出した。

「カーテン閉めて、何してんの?」

映画観てるの、と言いかけて何も言わず、僕は画面を眺めた。
別に映画を観ているという感覚でもない。僕は小松崎スミレを観ていたのだ。
結果、物語のすじを追い、役者達の台詞と演技を映画として租借してはいたが、
やはり映画を観ている気分ではなかった。

驚くほどに糞つまらない最低のC級映画だった。
誰が脚本を書き、誰が役者を集め、誰がメガホンを取り、誰が金を出したのだろう。
作る価値も無く、見る価値も無い、それはヘタクソな映画もどきだった。

「お腹すいてんでしょ? カーテン開けたら?」

質問と要望を同時に提示しながら、育枝は冷蔵庫を開けた。
食材と調味料を取り出し、髪を結い、水を流し、換気扇を回した。
換気扇の音が響いて、映画の音声が聞き取れなくなった。
だけれど僕は、何かを言おうとはしなかった。

これは単なる暇潰しで、退屈を貪るだけの時間だった。
知りもしない小松崎スミレの容姿と演技を眺めるだけの時間だった。
画面の中、バンドは最初で最後の路上ゲリラライブに向け、猛練習を重ねていた。

ギターの勇次が鶏を追いかけることで脚力と精神力を鍛える。
ドラムの義夫は大好きなギャンブルを止めた。
誰もが必死なのだ。

しかし小松崎スミレと前浜真也の仲は、
あの日からギクシャクしたままだった。
分かり合えないまま、12月25日が迫る――。

「今年も終わりだね」

フライパンを器用に振りながら、育枝が話しかけた。
何かは常に終わり、始まりさえ、また常に終わり続けていく。
一年が終わる。それは騒ぎ立てるほどの事では無い。しかし確実に終わる。

「絵は、もう描かないの?」

フン、と鼻息が漏れてしまった。
換気扇が回り続けている。育枝の顔は見えなかった。

12月、今日は何日だったか。
週四回のアルバイトの身分である上に、
中途半端に夢を見続けた僕に、今更行き場も逃げ場もない。

終わらせる事に憧れているのだ、僕は。
この先の、在るのか無いのかさえ知らぬ、結末を見る気は無いのだ。
噂話で耳にした「奇跡の融合」なんて生まれない。
路上ゲリラライブは失敗するだろう。
別にそれで良いのだ。

「絵は、もう描かないの?」

先程と同じ台詞を、育枝は繰り返した。
画面の端で小松崎スミレが緩やかに一度、ベースを弾いた。
低音。聞こえない。

緩慢に生まれ、緩慢に死んで往く。
誰にも知られず、知られたとして、驚かれず。
意味も無く貪るくらいなら、止めてしまった方がラクだ。
無様にもがき、諦め、立ち上がり、転び、這い蹲る姿を晒す必要も無い。

「さて、ご飯の時間」

料理を皿に盛り付け、食卓に並べ、髪を解いて、育枝が言った。
白い湯気が見えた。
世界は少しだけ白い。湯気の向こうに育枝が見え隠れしている。

僕はソファから立ち上がり、食卓に着いた。
育枝が換気扇を止めると、再び室内に音声が響いた。
台詞。音楽。喚声。

「ほら、テレビ、点けっぱ」

育枝はどうして、僕と一緒に居るのだろう。
こんな感じで、会話もせず、愛想もなく、未来もない。
先日のクリスマスさえ、ろくに何もしてやらなかった。
只、毎日を、僕は緩慢に死んで往く。

「君ってさ、」

映画の中では遂に12月25日を迎え、4人がそれぞれの楽器を手にした。
小松崎スレミと前浜真也が二人並んで立っていた。
その姿が目に入り、僕は目を疑った。

小松崎スミレは真黒な着物に身を包み、紅い紅を注していた。
細く白い腕でベースを弾く姿は、清楚であり、精悍であり、何より、

「生きてるんだよね」

華麗に舞うのだった。
小松崎スミレは、まるで別人のようだった。
誰も知らない、ずっと売れなかった女優が見せた、ほんの一瞬の、

「雪みたいに」

繰り返すように、育枝は言った。

「さて、ご飯の時間」

炊いたばかりの白米と生姜焼き。
冷蔵庫の中の物で済ませちゃったと、育枝は笑った。

「温かいうちに、ね」

育枝はどうして、僕と一緒に居るのだろう。
こんな感じで、会話もせず、愛想もなく、未来もない。
先日のクリスマスさえ、ろくに何もしてやらなかった。
只、毎日を、僕は緩慢に、

「生きてるんだよね」

何個かの言葉を、何度も繰り返すように、育枝は言った。
会話にならないからだ。だからこそ育枝は、何度も同じ言葉を選んだ。
僕が答えない限り、僕が進まない限り、育枝は何度でも、同じ言葉を繰り返すだろう。
知りながら尚、僕は黙って、白米を口に運んだ。

「君は消えたがっているんだ。消える事で、他人に知られたがっているんだ」

小松崎スミレの女優としての全盛期が、何処だったのかは知らない。
この映画が何年前の映画なのかさえ知らず、今、彼女が何をしているのかも知らない。
それでも小さな画面の中で、小松崎スミレは自由に舞っていた。
真黒な着物と、真白な腕で、懸命に弦を鳴らした。

「才能が無いんだ」

僕は、言った。
何に対して言ったのかは、よく解らなかった。
僕が言った言葉を聞いて、育枝は嬉しそうな、寂しそうな顔をした。

「才能が無いと、何かをしてはいけないの?」

「才能が無いんだ」

「だったら君は、この料理、もう食べないで」

育枝は笑っているように、泣いているように、言った。
まだほのかに湯気の残る、生姜焼きの皿を取り上げてから、言った。

「君は自分ばかり見てるから、何処にも行けないのよ」

師走とはいえ、12月28日にもなると退屈だ。

大学生であれば今頃、冬休みを謳歌していたのかもしれない。
社会人であれば今頃、忘年会に参加していたのかもしれない。

しかし週四回のアルバイトの身分である上に、
アルバイト先は昨日で仕事納めだし、忘年会も無い。
オッサンばかりで会話も無いから、何かを謳歌する関係性がない。
それで今、この退屈をどう扱えば良いのか解らない。

退屈ならば大掃除でもするべきだ。
正月に揚げる凧のように考えながら、誰も正月に凧など揚げない。
この退屈なる退屈の処理方法に、わざわざ大掃除を選択するほど退屈では無い。

絵でも描くべきだった。
誰かの為に描く絵を、もしかしたら描くべきだった。
そうじゃなければ、僕等はいずれ、迷子になってしまうのだろう。

緩慢に死んでいく。人知れず。それで初めて誰かに知られる。
何の意味も無い。何の影響も与えない。
誰の為の物でも無い。

そういう物に、世界は溢れていると思うか。

小松崎スミレは、その後、何処へ行った。
誰も借りる事の無いDVD。
何の才能も無い。
何の才能も無い、糞つまらない映画に、何かを感じている。

C級映画の中、まるで終わりが来ないみたいに、演奏は続いていた。
小松崎スミレが演奏しながら、前浜真也とキスをした。
ギターの勇次とドラムの義夫が微笑む。

「変な映画」

僕等の沈黙を破り、思わず育枝が笑う。
本当につまらない映画だ。

「何て映画?」

生姜焼きの皿を置き、僕に問いかける。
本当につまらない映画が、あと7泊滞在する。

「メリー・クリスマス・アンド・アイ・ラブ・ユー」

誰の為に作られたんだろう、この糞つまらない映画は。
誰の為にも、何の為にもならないが、それは今、確かに存在して、
そして僕に、何度でも、こう問いかける。

「絵は、もう描かないの?」

師走とはいえ、12月28日にもなると退屈だ。

「そうだね、何か描こうか」

頷くように育枝は笑って、そして何度でも言った。

「さて、ご飯の時間」

あの映画の結末は、最期まで、よく解らなかった。

inserted by FC2 system