小学六年生の夏に、僕はセンター・フォワードに任命された。

漫画の主人公と、まるで同じポジションだった。
漫画の主人公は、当時の僕と同じ小学六年生だった。
僕は『キャプテン翼』を読み漁るようになった。
僕は、主人公に、自分自身を重ねた。

僕等は第二次性徴の入口に居た。
漫画の中のような華麗なプレイを夢見たけれど、
同級生の成長は、僕の成長よりも、少しだけ早かった。

脆弱な身体は屈強に変質し、
繊細な精神は豪放に変化した。

僕を見上げた目は、僕を見下げるようになった。
世界は急速に形を変え始めて居たが、僕は変わらなかった。

僕のドリブルは阻止され、
僕のシュートは阻止され、
僕のヘディングは同級生のディフェンスに阻止された。
結局、一得点も決める事無く、夏は終わった。

高橋陽一が描き残した『キャプテン翼』における、
最初のピークは第十二巻に訪れる。

彼等は変わってしまった訳では無い。
互いの視点が変わるだけだ。
互いの距離が変わるだけだ。

僕は変わらなかった訳では無い。
周囲よりも少しだけ、変わるのが遅かっただけだ。

実際に、中学校に入学してから、
僕の身長は伸び始め、すぐに同級生に追い付いた。
其れは単に、今だから解る事だ。

高橋陽一が描き残した『キャプテン翼』における、
最初のピークは第十二巻に訪れる。

夏の終わりの日。
第十二巻を読んだ日に、僕はサッカーを辞めた。





第四話 『彼女と漫画喫茶(初/参)』



「アイス・コーヒー、お待たせしました」

頭上からウェイトレスの声が聞こえた。
ウェイトレスは小さなトレイを左手に持ち、
二杯のアイス・コーヒーをテーブルの隅に置くと、
二組の生クリームとガム・シロップを、其の隣に置いた。

「此処、煙草吸って良いんですか?」

アイス・コーヒーを手に取りながら僕が訊ねると、
ウェイトレスは「あ、すみません」と言って、
小さなエプロンから灰皿を取り出した。
便利な四次元ポケットのようだ。

ウェイトレスは前髪を整えながら「失礼します」と言うと、
ミニ・スカートを揺らしながら歩き始めた。

「煙草、吸うの?」

漫画に視線を落したまま、彼女は言った。

「煙草、吸うよ」

漫画に視線を落したままの彼女を見ながら、僕は言った。

「煙草、嫌い」

「何で?」

「嫌いだから」

僕はアイス・コーヒーに細長いストローを挿し、
生クリームを掻き混ぜながら「解りやすいね」と言った。

「ガム・シロップ、入れる?」

「入れない」

「生クリーム、入れちゃったけど」

「入れる」

僕はガム・シロップを入れずに、
生クリームだけを入れたアイス・コーヒーを、
細長いストローで充分に掻き混ぜると、彼女の傍に置いた。

其れからポケットに手を入れ、煙草を取り出すと、
安物のライターで火を点けてから、小さく息を吸い込んだ。
小さく息を吐き出すと、顔を上げた彼女が「あ、煙草吸ってる」と言った。

「吸ってるよ」

「嫌いだって言ったのに」

「知ってるよ」

彼女が頬を膨らませたので、僕は笑った。

其れから

「僕もアイス・コーヒーが嫌いなんだ」

と言った。



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