冬は近付いて居るが、太陽は温度を上昇させて居る。

SQUADRON 633 に到着すると、
僕等は並んで受付を済ませ、並んで漫画を手に取り、
昨日とまったく同じ窓際の席に、相対するように腰をかけた。

昨日と違う点はふたつ。
彼女が眼鏡をかけて居る事と、
ウェイトレスが短髪の女の子だった事だ。





第十二話 『彼女と漫画喫茶(次/壱)』



「ご注文はございますか?」

黒のシャツと黒のミニ・スカートに、
白くて小さなエプロンを巻いたウェイトレスは、
昨日とまったく同じ場所で、まったく同じ台詞を並べたが、
前髪を右手で整える癖は無くて、其の代わりに僕等を交互に見回した。

「アイス・コーヒー、二杯」

メニュー表を見ながら注文を告げると、
ウェイトレスは僕等を交互に見回してから「かしこまりました」と言った。

まるでコートの上を走り回る、ポイント・ガードの選手のようだと思った。
其の娘がバスケット・シューズを履いて居るのを発見したので、
僕の中で、其れは確信に変わった。

「今の女の子、きっとバスケット部だよ」

「何で?」

「バスケット・シューズ履いてたから」

「馬鹿じゃないの」

彼女は『最終兵器彼女』の第六巻を開きながら、
僕を見もせずに呆れたように言った。
僕は『キャプテン翼』の第十二巻を開きながら、
彼女の読書を邪魔するように言った。

「あの素早い目の動きは、バスケット部だよ」

「何それ」

「常に、周囲の状況を把握して居る訳だよ」

「他には」

「バスケット・シューズ履いてたから」

「馬鹿じゃないの」

彼女はページを捲りながら、
やはり僕を見ようともせずに言い放った。
僕はあえて彼女の読書の邪魔をするように言い続けた。

「ポイント・ガードは重要な役割なんだよ」

「へぇ」

「試合の流れを読みながら、動き続けるんだよ」

「へぇ」

「マジック・ジョンソンだって、ポイント・ガードだったんだ」

「それで?」

「今の女の子、きっとバスケット部だよ」

店内には PLEASE PLEASE ME が流れて居る。
天井から吊り下げられたスピーカーは綺麗に磨かれており、
壁際に並べられたポスターは几帳面に額縁に飾られており、
其れ等の全てから店主の性格を窺い知る事が出来た。

「あのね」

彼女は溜息のような台詞を吐き出すと、
ようやく漫画から視線を外して、顔を上げて僕を見た。

「君はカレーライスを食べてる人を見て、
 今の人、きっとインド人だよ、なんて言うの?」

少しだけ下がった眼鏡を中指で直しながら、彼女は言った。
カレーライスとバスケット・シューズを一緒にされたくは無いが、
彼女の言い分は至極もっともなので、僕は「もっともだ」と返した。

「それにしても」と僕は付け加えた。

「ウェイトレスの制服に、バスケット・シューズは似合わないね」

彼女は少しだけ笑うと「もっともね」と返した。

彼女は昨日に比べると冗舌だった。
もしかしたら昨日が普段に比べて寡黙だったのかもしれないけれど。
とにかく少なくとも今日、僕は彼女と会話をする事が、何故か楽しかった。

手元には『キャプテン翼』の第十二巻が在った。
せっかくならば第十三巻を持って来たら良かったのだけれど、
第十三巻を読む為には、第十二巻を読み直さなければいけない気がした。

だけれど今日、僕は彼女と会話がしたかった。

背後からバスケット・シューズが床を擦る音が聞こえた。
以前に体育館で何度も耳にした事が在るような粘着的な音だった。
喩えるならば、放課後の音だった。

「アイス・コーヒ−、お待たせしました」

ウェイトレスは僕と彼女の傍にそれぞれのグラスを置くと、
周囲の状況を的確に把握するかのように、素早く僕等を見回した。
其れから「ごゆっくりどうぞ」とも言った。

「一流のポイント・ガードだな」

「まだ言ってる」

「ガム・シロップ入れないんだよね」

「うん」

僕は彼女のグラスに生クリームを注ぐと、
細長いストローで其れ等をゆっくりと掻き混ぜた。

相変わらずの事では在るが、
其れ等は季節に相応しくない音を鳴らし、
静かに回転しながら互いに影響を及ぼし、吸収された。

「アイス・レモン・ティーが良かったな」

不意に彼女が言った。

「は?」

「アイス・レモン・ティーが良かったな」

「無理、手遅れ」

「アイス・レモン・ティーが良かったな」

「駄目、手遅れ」

アイス・コーヒーは既に生クリームを含有し、
厳密な意味で、もう本来のアイス・コーヒーでは無かったし、
元はと言えばアイス・レモン・ティーを注文したかったのは僕の方だ。

「何で?」

「何が?」

「アイス・レモン・ティーが飲みたかったの?」

僕はストローで液体を掻き混ぜ続けながら言った。

「別に」

彼女は窓の外を眺めながら言った。
拙い悪戯を注意された、幼い少女のような視線だった。
其れから中指を眼鏡に当て、其の奥に在る赤い目で僕を見ながら、

「君、煙草を吸って無かったからね」

と言った。



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