特に感慨も無いまま、世界は回転して居る。

特に感慨も無いまま回転する世界の中で、僕だけが興奮して居る気分だ。
僕は回転する世界から隔離された気分に浸りながらも、
其の無風状態で在るはずの中心部分で、
彼女の唇を考える。





第十六話 『自室(無風)』



部屋に辿り着くと、僕は空缶を、机の上に置いた。

置いたと表現するよりは、飾ったと表現する方が正しい。
空缶は机の上で、存在を明確に主張して居る。
其れは彼女が唇を付けた空缶だから、彼女を飾るのと同義だった。
少なくとも彼女の写真や、彼女の断片を飾るのと、ほとんど同義だった。

其の段階で、僕が彼女に求めて居たモノが何なのか、僕には解らない。
只、彼女が唇を付けた空缶は、僕には捨てる事が出来なかった。
捨てる事が出来ないならば、飾るしか思い付かなかった。

僕はパソコンの電源を立ち上げると、
宛の無いネット・サーフィンを繰り返した。
目的も無く漂う行為は愉しくも在り、虚しくも在る。

何処に向かうべきなのかはよく解らないし、
そもそも初めから終着点など設定されては居ない。
右手でマウスを動かすと色を変える地点を発見するので、
僕は其処を出口だと認識し、次のページへ移動する訳だけれど、
見付けた出口は、次のページへ向かう為の、単なる入口だとも言えた。

入口は再び数箇所の出口を用意して居る。
何を選んでも正解では無いし、何を選んでも不正解では無い。

其れは昨夜の行動のリプレイとも言えた。
相違点を挙げるならば、カレンダーの日付が違う事くらいだった。

否、変化した点もある。
昨夜と同じニュース・サイトに書かれた記事は、
昨夜と同じままでは無かったし、記事によっては進展も見られた。

僕が『恐怖のデス・タキシード』と名付けた事件にも、
昨夜の記事に比べて、幾らかの進展が見られた。
昨夜と同じ、実に小さな記事ではあったが。

其れは一切、争いの形跡は見られなく、
首を吊った男性の足元には遺書も残されており、
自殺と断定しても差し支えないような状況では在るのだが、
唯一点、男性は正装して居た、というB級映画の内容のような記事だった。

正装と書かれて居るのは恐らくタキシードか何かの事だと考えられるが、
今から首を吊って死のうとして居る男が、タキシードに着替えるだろうか。
其の上、タキシードは一切、汚れて居なかったのだ。

記事を書いた記者は、
「警察は事件・自殺の両面から捜査を続けて居る」
と書き添えて、短い記事を締めくくった。

此処までが昨夜の記事の内容と、僕の感想だ。
ところが今夜のニュース・サイトに書かれた続報は、
ほとんどスキャンダラスな三流ゴシップ記事に近い。

自殺をした男性は、現職の警察官だった。
昨夜の記事に書かれた「正装」とは、警察の制服を指して居た。
男性は職務時間中に自宅に立ち寄り、制服のまま首を吊ったというのだ。

記事の真偽は兎も角、僕が名付けた『恐怖のデス・タキシード』は、
其の秀逸な名称を、根底から再構築せざるを得なくなった。
其れは『恐怖の警察の制服』だったのだ。
あまりにも語呂が悪すぎる。

僕は机の上に飾られた、彼女の空缶を眺めた。
鮮やかな黄色の表面に、赤色で筆記体の文字が書かれて居る。
其れは彼女の赤色の目を連想させ、同じように彼女の唇を連想させた。

(君は私になれる?)

彼女が唇を付けたスチール缶は、既に存分に冷えており、
時折、蛍光灯に照らされて、鈍く光るだけだった。
彼女の温度など感じる事は出来なかった。

彼女に会いたいと思った。
彼女に会いたい理由など解らないし、
彼女がどのような人間かも解らなかったけれど。

何かを失う事は、怖い事だ。
其れが既に存分に温度を無くしたモノだったとしても。
何もかもを失う事など無く、延々と傍に在れば良いのに、と思った。

断片的な全てを拾い上げ、再び結合する。

『恐怖の警官の制服』事件の記事には、続きが在る。
部屋に争いの形跡は無く、何者かが部屋を荒らした形跡も無かった。

遺書の内容は公開されて居ないが、男性の筆跡と一致しており、
自殺と断定しても差し支えない状況には変わりが無かった。
職務中に首を吊ったのが、不可解では在るけれど。

更に一点。

昨夜の段階で、警察が公表しなかった部分。
男性はガン・マニアだった。
男性の部屋からは大量の鉄砲が発見された。

自殺した現職警官の不祥事。
僕はニュース・サイトを閉じると、ベッドに寝転んだ。

全ての情報は退屈しのぎの為に大量生産され、
まるで同じように大量消費されて往く。
四日後には忘れて居るだろう。

僕は何処に向かって居るのか?

まるで昨夜のリプレイを眺めるように、
何も変化せず、何も進展せず、何も成長しない。

逃げ道を探して居るような気はするけれど、
僕の存在など、特に感慨も無いまま、世界は回転して居る。

昔見た西部劇の映画のように、
彼女の空缶を、鉄砲で、華麗に撃ち抜く夢を見た。
其れは一直線に彼女の空缶の中央を貫通し、尚、止まる事は無かった。

翌朝、目が覚めると、僕は机の上を見た。
机の上には昨夜と同じままで、彼女の空缶が飾られて居た。
其れを理解すると、何故か僕は安心した。

シャワーを浴びて、服を着ると、彼女の事を考えた。

窓から差し込む光は温かそうだったけれど、
窓を開けて訪れる現実は、イメージに反比例して居た。
訪れるべき冬は、訪れるべき時機を、何も言わずに見計らって居る。

僕は黒色のニット帽を目深に被ると、部屋の扉を開けた。
青空は厭に澄んで居て、冷たい空気が自由に飛んで居るようだった。

太陽は温度を感じさせず、只、澄んだ青空に張り付いて居た。



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