彼女が立って居た。
冬色の厚手のコートを着て、大きな鞄を肩から下げて、
重そうなブーツを履いて、玄関先に立っているリンカを、僕は見付けた。

其れは初めて出逢った日の彼女に、よく似て居た。
あの日と違うのは、今は雪が降っている事。
そして彼女の髪が、白色だった事。

真白な風景の中で、彼女の眼だけが、赤かった。






第二四話 『自室(潜熱)』




「眼鏡は?」

実にどうでも良い疑問が、最初に僕の口を吐いた。
彼女は何も言わずに悪戯っぽく笑うと、ポケットの中から眼鏡を取り出した。
彼女の眼と同じ真赤な縁取りの眼鏡をかけると、わざと僕とは眼を合わさずに、また小さく笑った。

「どうして僕の家に?」

現実感覚の希薄な、酷く夢のような会話の中で、僕は彼女に問うた。
眼鏡をかけた真白な髪の彼女は、大きな鞄の中に手を入れると、小さな紙切れを取り出した。
赤色と白色のストライプで飾られたのは、漫画喫茶『SQUADRON 633』のスタンプカードだった。
1088。

「調べたの?」

「君は私を家に上げてくれるの?」

僕の疑問を遮るように発せられた彼女の疑問に、思わず僕は手を伸ばした。
彼女の手を取り、引き寄せて、玄関の扉を閉める。
風が止み、雪は見えなくなった。

「寒かった?」

「愚問」

「よく調べたね」

僕が言うと、彼女は笑った。
重そうなブーツを脱ぎ、背筋を伸ばすと、歩き始める。

「其処を左」

僕の声に反応するように、廊下を曲がり、扉を開ける。
瞬間的な、温度。

リンカが僕の部屋に居る。
其れは酷く非日常的で、奇妙な感覚だった。
彼女は鞄を床に降ろすと、周囲を見回しながら、冬色のコートを脱いだ。

「貸して」

ハンガーを手に取りながら、僕が手を伸ばすと、また彼女は笑った。

「病人は寝てなさいよ」

代わりに僕の手からハンガーを取ると、彼女は壁にコートをかけた。
彼女のコートが、まるで僕の部屋に飾られたオブジェのように、壁から垂れ下がっていた。
やはり其れも不思議な感覚で、数秒間、僕は其れを眺めていた。

「話、聞いてる?」

「え?」

「寝てなさいよ?」

彼女は何をする為に、わざわざ僕の部屋を訪れたのだろう。
ベッドに潜り込み、小さく息を吐き出すと、隣にリンカの顔が見えた。
どれどれ? と言いながら、彼女は僕の額に手を当てて、熱があるなと呟いた。
其れから先程、床に落としたタオルを拾い、「コレ使っても良いの?」と、僕に訊ねた。

「ああ、床、濡れちゃってる」

「落としたから」

「拭きなさいよ」

「君が来たから、落としたんだ」

水の中を小さく揺れる、氷の音が聞こえる。
タオルを絞る。水が滴る。
液体的な音。

「ぬるくなっちゃってるなぁ」

独り言のように呟く。

「氷、貰ってきて良い?」

僕の返事を聞く前に、リンカは勝手に立ち上がり、部屋を出た。
初めて訪れた家とは思えない振る舞いだけれど、
何故だか、あまり気にならない。
止める気力も無い。

姉とリンカ。
変な組み合わせだ。
居間から小さな笑い声が聞こえている。

「お待たせ」

数分後、大量の氷を持って、彼女が現れた。
背後に、何故かマグカップを乗せたトレイを持った、姉の姿。

「何で?」

「何が?」

「何で姉さん、居るの」

「ココア、飲むでしょ?」

当然のように床に腰を降ろすと、
改めて彼女は、ぬるいタオルを水に濡らす。
彼女の隣に、まるで当然のように、姉が腰を降ろした。

「はい、ココア」

「僕、病人なんだぜ」

「病人だって、ココア飲みますよね?」

僕にマグカップを手渡しながら、彼女は姉に問いかけた。
姉は声には出さずに、小さく笑った。
笑っているな、と思った。

なるほど、病人でもココアくらい飲むよな、と僕は思った。



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