■な行
夏になると少年は風船を飛ばしたがるが、風船は少年の何を飛ばしたのか?




10分間で語れる言葉なんて高が知れてると思うんだけど、
10分間しか時間が残されていないから仕方が無いらしい。

最初に巨大風船の中に入ろうと言い出したのは誰だったか。
確か浜松だ。
浜松が「みんなで夏休みの思い出を作ろうぜ」と言い出したのが最初だ。

それで僕らは海だ、山だ、花火だ、キャンプだと盛り上がってたのに、
浜松はポカリを飲みながら「気球を上げるのはどうだろう?」と言い出した。
野球部の部室を片付けた後だ。

気球なんて、どうやって手に入れたら良いのか解らない。
何処かで貸し出してるんだろうか。
貸し出してるのだとしたらレンタル料は一日どれくらいだろうか。

いやいや、そもそも別に気球なんて、上げたくないし、乗りたくない。
恐らく危ないだろうし、皆で一斉に乗れる訳でもないだろう。
夏の思い出作りとしても、その提案はイマイチ意図が掴めないと思う。

そりゃ浜松の気持ちも解らない事もない。
確かに夏、爽快感、開放感。
今までの鬱屈した僕らの気持ちを乗せて、気球よ、飛んでいけ、という気持ちは解る。
いや、解らない事もない、が正しい。

だけど本当に「気球を上げようぜ!」とか言われたら、無いわぁ。
その発想は無かったわぁ。
なので僕らは口を揃えて「気球は無いわぁ」と言った。

そこで浜松が出した代案が「巨大風船を膨らませよう」だった。
まったくもって意味が解らない。
まったく憧れない。

「は? 巨大風船? 何で?」

「気球と風船って似たようなモンじゃない」

「お前は壊れかけの乙女みたいな発想の持ち主だな、すげぇな」

浜松曰く、風船は人一人が入れるくらいの巨大な風船であり、
最終的には気球と同じように、誰かを大空に飛ばすのが目的だと言う。
いやいや飛ばないから。

巨大風船にガス……何あれ、ヘリウムガス?
いやいや、そんなに危険なガスは使ってないはずだけれど、
とにかく酸素より軽いガスを入れてんでしょ、遊園地で配ってるような、浮かぶ風船。

それを巨大な風船の中に充満させて、人一人を大空に飛ばそうという、
その思考が解らないし、無理だし、それ普通に死ぬから。
どちらにせよ窒息死するから。

「おお、いいなそれ!」と言ったのが、野球部で二番目に馬鹿な溝口だから堪らない。
飛ばないから。
飛んだとしても息できないから。
息できたとしても、お前らが思ってるほど、大して面白く無いから。

巨大風船の中に人を入れて、ガスで膨らませて、
大空に浮かんで「やったぁ!」って、お前らコレ本当に楽しいか?
浮かんだら浮かびっぱなしで、こんなの出オチに近いぞ、実際そんなに楽しくないぞ。

ところが三番目に馬鹿な斉藤が「いっちょ、やるか!」とか言い出す始末。
我が校の野球部は、ひいては僕の近くにいる奴等は、どうして馬鹿ばっかりなんだろうか。

確かにまぁ、僕らは甲子園に出場する訳でも無く、
何だかアッサリと、高校生活における野球部活動は、すでに終わってしまった。
夏は長い、まだ始まったばかりだ、暇だ。

「巨大風船なんて、何処に売ってんだよ」

僕が決定的な台詞を言うと、浜松は「俺の親父が持ってる!」と返した。
何で持ってんだよお前の親父はそんなに巨大な風船を。
何に使うんだよ使う機会無いだろ絶対に。
馬鹿息子の親父も馬鹿だ。

そこで、冒頭に話を戻そうか。
巨大風船の中に入る人間はジャンケンで決めた。
三塁手の樋口と、僕が最後に残って、樋口とのジャンケンに僕は負けた。

巨大風船の中に入るのは僕になった、という訳だ。
風船の中に入れるのは、ヘリウムガスという事になった。
馬鹿の発想だ。

絶対に危ない。
まず「ヘリウムガスは軽いから」という、その短絡的な発想が危ない。
ヘリウムガスを長時間吸うのは危険だろうと、僕にはスキューバ用の酸素ボンベが与えられた。
浜松の親父の私物らしい。

それで僕は今、巨大風船の中にいるという訳だ。
しかも大空を浮かんでる。
それだけ。

奴等は呑気に手を振りながら「浮かんだ! 浮かんだ!」なんて言ってた。
その様子を、次第に離れていく地面と一緒に、僕は眺めてた。
豆粒のように離れて、今はもう見えない。

誰も浮かんだ後の事なんて考えてなかった訳だ。
最初に言った通りなんだけど。
浮かんでるだけ。

あとは酸素ボンベが切れるか、それともヘリウムガスが爆発するか、
巨大な風船が空中で破裂するのを待つだけなんだ。
酸素ボンベが切れる時間が、あと10分。

10分間で語れる言葉なんて高が知れてると思うんだけど、
10分間しか時間が残されていないから仕方が無いらしい。

なんて言ってる間に、残り数分という事になったらしい。
少し息苦しくなってきた、何だかよく解らない終わり方だな、僕の人生。
別にどうでも良いんだけど。

甲子園に行きたかったなぁ。
子供の頃から、ずっと二塁手だったのよ、僕。
そんなに目立つ事は無かったけど、野球は上手いつもりだったんだ。
何で甲子園に行けなかったかなぁ。

何だかどうでも良いんだ、ここ数日は。
予選敗退が決まった日の夜は、散々泣いたもんだけど。
ここ数日はさっぱり、何にも感じないんだよ、何にも楽しく無いし、もう駄目だ。

そりゃ、もっと人生に対してやる気があったら、
奴等が笑いながら「お前、風船入れよぉ」なんて騒いでる時に、
もっと本気で嫌がっただろうし「お前らは全員馬鹿だ」と言ってやれたはずなんだ。

ああ、それを言ってやれなかったのは、少し後悔だ。
お前らは全員馬鹿だ。
半透明の風船から、足下を見ると川が見えるが、それは随分と小さい。
そして細く長い。

酸素が尽きるのが先か、それとも破裂したりはしないか。
ヘリウムガスに引火する可能性はないか。
僕は終わり方ばかり考えてる。
だが答えは出ない。

あと何秒後に、僕の身に何が起こるかさえ解らないが、
幸か不幸か、今は大空を漂い続けている。
だから今は、まだ言える。
まだ言える。

お前らは全員、馬鹿ばっかりだ。
馬鹿に煽られる僕は、もっと馬鹿だ。
馬鹿に殺されて堪るかよ。

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