■ら行
冷蔵庫の中の逮捕状




小さく喘いでよ。僕の全てをあげるから。
溜め込んだ濃くて白いのを、咽喉元めがけて吐き出したかった、それだけだ。

まるで光が入り込まない部屋にいる。
短くて三日間、長ければ十五年以上は、此処にいると思う。
何せ光の動きが解らぬ世界では、今日が何処で、僕が誰なのかは、実に曖昧だ。
そこで僕は意識のある時間の大半を、自慰行為に宛ててみる事にした。

退屈や恐怖を感じない時間は非常に快適で、但し、非常にくだらなかった。
時折、渇いた木製の扉が(仕掛け人が隠れているのでは無いかと疑うほどの音量で)鳴った。
それは来訪者を示す音でもなければ、風の悪戯でもなく、何とも説明の付かない音だ。
冷蔵庫の製氷機が音を立て、完成したばかりの氷を落とす音にも似てる。

煙草も漫画も無ければ、電話も無い。
此処から出る事も出来ずに、だのに何故に今、僕が生き延びる事が出来ているのかと言えば、
もう一人の僕が居るからに他ならない。
もう一人の僕は、僕の為に、飯の用意をし、布団の用意をし、風呂の用意もする。
どうしてそこまで尽くしてくれるのかは解らないが、それはもう一人の僕だからに他ならないだろう。

「朝は来るよ。 そしてそれを、僕は見て居た」

誰の台詞かは解らない。
僕の台詞のような気もするし、もう一人の僕の台詞のような気もする。
朝が来る、という希望的観測の文脈に続くのが、見て居た、という過去進行形の動詞なのは何故だ。
ペットボトルの水を飲み干すと、僕は眠った。

グリップ・エンドから一直線に、しなやかな曲線を経て、ガットの網目の中へ飛び込む。
テニス・ラケットを抱えた少女の、白いミニ・スカートが揺れる。
網目に掴まりながら、僕は其れを見て居た。
其れを見て居ただけだ。
冤罪だ。

物音ひとつ聞こえない部屋で目が覚めた。
眠りに落ちたのは五分間かもしれないし、もしかしたら半年くらい経ったかもしれない。
厭な夢を見たような気がするが、見慣れた夢のような気がする、テニス部の少女が出てきたはずだ。

僕が少女のミニ・スカートに触れた時、少女は泣いていただろうか?
僕は何かをしたくて何かをした訳ではなくて、何もせずには居られなくなって、そうしただけだ。
服を剥いだのも、肌を舐めたのも、殴り飛ばしたのも、同じ事だろう。
其れで僕は今も、此処に身を隠している。

「ところが実際には、僕と少女には接点など存在しない」

僕と少女は手を触れ合ってさえおらず、僕は徹頭徹尾、其れを眺めて居ただけだ。
記憶のアニミズム。
写真の中の少女を犯し続ける行為にも似た罪悪感を、未だに持て余し続けている。

少女とは誰だ?
得体の知れない何かを崇拝する。
固定化した記憶を掘り返して真実を捜しているけれど、見当たらない。

掘り返すような過去など無いのかもしれない、
思うに、過ちを犯す前に殺してしまったのだ、僕は、僕を、僕に。
それで未だに、もう一人の僕が、僕を世話し続けているという訳なんだと思う。

結局、僕は溜め込んで飲み込んだものを抱えて、消化不良を起こしたまま、出口を探してる。
多分、それだけの事なんじゃないかと思う。
僕は冷蔵庫を開けた。

「逮捕状だ。 お前は今すぐに、此処を出なければいけない」

暗闇の中に、間抜けなほどに柔らかい光が灯っている。
柔らかい光を灯した冷蔵庫の中に、何重にも折れた紙切れを手にした、もう一人の僕が居る。
製氷機が音を立て、完成したばかりの氷を落とした。
部屋中に大きな音が響いた。

存在不明瞭な存在を、愛している。
幼稚なアニミズムのように、固定化した記憶を愛撫する。
だけれどそれが何者なのか、徹頭徹尾、僕自身にも解りはしないだろう。
太陽が眩しければ、目が潰れるかもしれない。

太陽は子宮のようだ。
小さく喘いでよ。僕の全てをあげるから。
溜め込んだ濃くて白いのを、咽喉元めがけて吐き出したかった、それだけだ。

「朝は来るよ。 そしてそれを、僕は見て居た」

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