■さ行
草食男子的思考




 メリル、僕達の待ち合わせ時間は、君の都合通りだよ。
 メディアが草食男子などという奇妙な造語を考え出して久しいが、本物の草食男子なんて存在しないんじゃないかと、僕は思うよ。もしくは少なくとも、その言葉が生まれた段階で、そんな奴は存在しなかった。非実在青少年的発端だよ。それは「在る」と言われれば「在る」し、等しく「無い」と言われれば「無い」。今年の流行色やブランド品みたいに実体の無い、誰が仕掛けたのかも解らない噂が実体化して居る。

 1947年6月24日にケネス・アーノルドは世界で初めて空飛ぶ円盤を発見したが、彼は円盤型の物体を見た訳じゃない。只、彼は彼が見た三日月型の物体を「まるで Saucer が水面を撥ねるように、空中を飛んでいた」と表現しただけで、Flying Saucer を見た訳じゃないんだ。ところが新聞に Flying Saucer、要するに「空飛ぶ円盤」という単語が躍った途端に、円盤状の飛行物体を発見する輩が続出したのは何故だと思う? ケネス・アーノルドが見たのは「三日月型の飛行物体」だったのに? Unidentified Flying Object は存在するが、Flying Saucer は存在しない。同じように非実在青少年は存在するが、草食男子は存在しないだろう。単なる妄想だよ、君達の。理想を手に入れる為には、立場を向上させなければならない。立場を向上させたなら、誰も世界が平等なんて言わなくなるよ。君達は「それ」を隣に連れて歩きたかったのだろ? 僕達は妄想に付き合わなければならない。

 メリル、愛想笑いは悲しいな。だから僕はそれを演じなければならなくなった。全く馬鹿げた日常だろう。演じる必要なんて無かったと思うかい? 君が化粧をしたり、上下揃いの下着を身に着けたり、仕事での発言力を強くしたりするように、僕達の中の何割かは演じなければならなかったのさ。否、もしかすると演じる必要は無かったのかもね。アダムスキーは生涯で25回もの宇宙人との遭遇を経験し、円盤型の謎の飛行物体の撮影に何度も成功した。彼を嘘吐きだと罵るかい? それは難しいな。現在、世の中に存在する草食男子を罵るのと同じくらい難しい。だって彼等は演じている訳じゃない。信じているのだからね。

 さて今晩、僕達は何処へ行こう?
 任せるよ。何処も同じだ。何処だろうと君の行きたい処へ。君は乱暴なほどのリズムで、僕の奥底を激しく揺さぶるよ。僕はその音楽みたいなリズムに乗るよ。有能なコンタクティは金星人とも会話が出来るらしいから、僕は君の長くて実の無い愚痴と自慢を苦も無く聴く事に専念するよ。メリル、愛想笑いは悲しいな。笑えるなら笑った方が良い。誰も損しないぜ。

「ね、今日は何処行きたい?」
「そうだな、君と一緒なら何処だって良いよ」

 恐らく僕は、この後「最近雑誌で見付けた、静かで料理の美味しそうな店」に連れて行かれるだろう。何にも文句は無いよ。只、僕は演じているだけなんだ。君は演じているのも気付かないだろう。だってお互い、それを信じているのだからね。白い、静か、健やか、穏やか、優しく透明な空気のような、しかし実体の知れない、僕はマイナスイオンみたいな男さ。見た事ないだろ、僕の事。しかし存在しているよ。君は僕を吸い込んで、せいぜい美しくなると良い。

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