■た行
梅雨。そして隕石は踊る。
雨の日には雨の日の歩き方ってモンがある。 部屋から一歩も出たくは無いけれど、傘さえ持たずに歩いていく人達がいる。 物好きな人達だと鼻で笑うけれど、その道を濡れながら歩くのがどんな気分なのか、僕は知らない。
雨音は気分が滅入るから嫌いだ。それで僕は窓を閉じて、耳を塞いでしまう。 何処に行くにも中途半端な僕だけれど、せめて自分の心音くらいは、聞き逃さずにいたいモンだ。 後悔せぬように暮らしていても、必ず後悔はする。人を傷付けぬように暮らしても、誰かを傷付けるように。 雨が降らぬようにと祈って暮らせば、雨が降らなくなる訳では無い。雨は降る。それで我が身をどうすれば?
何の理由も思い当たらないのに泣きたくなる夜ってのが在って、そりゃ恥ずかしい気分だ。 だってそんなの誰かに知られたら、僕は晴れた日にさえも、部屋の外に出たくない気分になるだろう。 きっと君に知られたら笑われるだろう。呆れられるだろう。嫌われるだろう。それが僕は何よりも怖いのだ。 だから何も言わないようにしている。何も見ないようにしている。誰にも気付かれないようにしている。 安いヘッド・フォンを耳に当て、何も聴こえないフリをしている。そして考えないようにしている。 僕等は互いに、信じるには値しない、とても愚かな存在だという事実を。
「はぁ!
それでカーテンすら閉め切って、呑気にタバコを吹かしてるって訳かい!」
本棚の隅から現れるのは、毎度の三段重ねの奴だ。 三段重ねの奴は、三段目の引き出しからタバコを取り出すと、僕の真似をしながら笑った。 「事実って何だ?
お前が知った気になっている、真実の側面の事か?
それとも嘘の別名か?」 三段重ねの奴は、何時も好き勝手に喋って、好き勝手に消える。 隕石を拾った日から出てくるようになったから、三段重ねの奴は、きっと隕石から生まれたのだろう。
「お前は泣きたいのか?
それとも笑いたいのか?」
笑うというのは素晴らしい感情だ。 嫌な事だとか、虚しい事を吹き飛ばしてくれるのは、何時だって笑いだ。それで僕は、 「そうして時間を無駄にして、笑える方法を探してるって言うのか?
そりゃ無駄だね、驚くべきほど無駄だ」 漫画に、映画に、小説に、動画。笑いに携わるべき商品が、部屋中に氾濫している。それなのに僕は、 「お前一回、泣いた方が良いだろう。泣くってのは意外と難しいモンだ。何も考えずに笑える事よりも、ずっと」
三段重ねの奴は、ニ段目の引き出しからライターを取り出すと、咥えたタバコに火を点けた。 「道を誤るなよな。お前の行く道は正しい。お前が裏切らない限りはな。それなのに、お前ときたら」 何時だって裏切ろうとしてしまう。我が身を止めてしまう事など簡単だと嘯いてしまう。信じるに値しないと、 「積み上げたモンを一瞬で壊して悦に浸るのか?
これで安心だと泣きながら、また組み直すのか?
まるで」 不幸を演じている内に、本当に不幸になる事を望んでいる自演作業だ。初めから望んでなんていないのに。 「壊れる前に壊す事を望むなら、そうだ、積み上げなければ良い。それなのに、お前は何度でも積み上げる」
三段重ねの奴は、一段目の引き出しを開けると、そこを灰皿代わりにして、長く伸びた灰を落とした。 「ああ、何と不幸なお前なんだ。そして滑稽だ。結局、お前は自分の世界しか愛せない。なのに望んでいる」 僕は望んでいる。だから全てが億劫だ。全てが厄介だ。全てが残酷に見えるのだ。そして無言で訴えている。 「何より臆病なんだ。お前は雨に濡れる事さえ怖れているのだもの。汚れる事を怖れて何もしないのだもの」 それでは、汚れた先に何がある?
書を棄て町に出たら立派な人間か?現実を知る事が素晴らしい事か? 「現実を知らずに不幸を気取るよりは健全というだけだ。お前が信じる事実ってのも胡散臭い代物だからな」
僕は信じたいモノを信じ、愛したいモノを愛したいだけなのだ。それ以外のモノは邪魔――「では無いのだ」。 「それは満月であり、既に三日月だ。半月の夜に吼え、新月の夜に嘆き、月食の朝には太陽を眺めるのさ」 満喫した表情でタバコを揉み消すと、それで三段重ねの奴は、全ての引き出しを閉じた。 溜息。僕はカーテンを少しだけ開き、そっと窓の外を眺めた。
雨が踊っている。
隕石は、眠る。
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